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コミュニティ | 平日限定 ドライブ遠征倶楽部 京都ベ-ス 2024 |
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主催者 | ふっち |
カテゴリ | 日帰り観光 |
タグ |
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料金 |
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料金用途 | 交通費(車関係)食費別 |
参加人数 | 4名 |
募集人数 | 5名 受付終了 |
最小催行人数 | 3名 |
対象 | |
開催日時 | 〜 |
開催場所 | 京都府京都市 地図を見る |
募集期間 | |
イベント内容 |
今年の大河ドラマ「光る君」の作者、紫式部のゆかりの地を巡るドライブです。 ①紫式部のお墓(小野篁の墓と隣接してます) ②雲林院(源氏物語「賢木」で藤壺の態度に悲観した光源氏 が出家しようと籠った寺。 ③蘆山寺(紫式部邸宅。源氏物語執筆の地) ④清涼寺(光源氏のモデル、源融お墓、邸宅跡) ⑤野宮神社(源氏が京都を去る,六条御息所を訪ねた地) ⑥嵐山亀山公園(明石の君が住んでいた地) ⑦風俗博物館(源氏物語をモチ‐フに平安時代を立体表現) ⑧源氏物語ミュ-ジアム ⑨宇治橋上流(宇治十帖浮舟の地) ⑩石山寺(紫式部、源氏物語執筆の間展示) 以上のコ-スをドライブ拝観します。 博物館、ミュ-ジアムは入館料必要です。 https://www.iz2.or.jp/top.html https://www.city.uji.kyoto.jp/site/genji/ 交通費 走行距離100㌔ 10L×175円=1750円 高速代 1700円 1750円+1700円=3450円÷5名=700円 ※駐車場代は割り勘計算します。 集合場所 JR京都駅八条口 自家用車乗降場 集合時間 10:00 |
参加者専用伝言板
公開伝言板
公開伝言板に書き込んだ内容は、すべての会員が見ることができます。参加者専用伝言板はイベント参加後にご利用になれます。
長くなりますが行先の簡単な説明を書いておきますので、行く前に読んで頂ければより一層行く場所の事を理解できると思うので御願いします。
①「廬山寺」(京都府京都市上京区)
平安時代中期に京都の西北にある船岡山(京都府京都市北区)に創建された寺院です。それが1571年(元亀2年)に豊臣秀吉により現在の場所へと移りました。
そして廬山寺があるのは、紫式部の曽祖父にあたる「藤原兼輔」(ふじわらのかねすけ)が建てた邸宅跡とされているのです。紫式部はこの地で育ち、結婚、出産、子育てと生涯の大半を過ごしたと言われています。
源氏物語をはじめ「紫式部日記」や「紫式部集」もここで執筆。なお、源氏物語に登場する「花散里」(はなちるさと)の屋敷も、この辺りの土地を想定して書かれたと考えられています。
②紫式部お墓
紫式部は当時としてはドロドロした恋愛物語を書いたという事で風紀を乱し人々を惑わせたという理由で地獄に落ちたと考えられていました。「紫式部を地獄から助け出したい!」と思った人々がすがったのが夜に閻魔大王のお手伝いをしていた「小野篁」。小野篁から閻魔大王に御願いをしてもらい紫式部を地獄から救い出してほしい!との思いからお墓を隣同士にしたとの事です。
※小野篁 遣隋使小野妹子の子孫。平安初期の貴族で参議の位。霊界を行き来できる人物として有名。六道珍皇寺に祭られる。
③「雲林院」
京都府京都市北区紫野にある寺院で、平安時代初期くらいまでは紫野一帯が広大な狩猟地でした。
「淳和天皇」(じゅんなてんのう)は当地に離宮・紫野院を造営し、紫野で狩りを行ったあと、離宮にて雅楽を楽しんだと言われています。のちの869年(貞観11年)に、離宮・紫野院は僧の「遍照」(へんじょう)を招いて雲林院となりました。そして、源氏物語の注釈書「河海抄」(かかいしょう)によると紫式部は紫野で育ったとする説があり、その呼び名も地名に由来していると書かれています。
こうした伝説から、雲林院の南に位置する「白毫院」(びゃくごういん)には、紫式部の墓が建立されているのです。源氏物語の10帖「賢木」(さかき)で光源氏が雲林院に参籠した様子が描かれていることからも、雲林院は紫式部と深い繋がりのある場所だということが分かります。現在の雲林院は、紫式部ゆかりの地であることに加え、桜や紅葉の名所としても有名です。
④清凉寺
「源氏物語」の光源氏が造営した「嵯峨の御堂」に目される寺院です。それは清凉寺の本尊釈迦如来像が古来より多くの人々に信仰を集めてきたことに由来しています。
清凉寺の前身である棲霞寺の寺域は嵯峨天皇の仙洞「嵯峨院」の一部で、源融公が山荘として賜ったものであり、融公は紫式部の源氏物語の主人公光源氏の有名なモデルとされています。丈六の本尊は融公の薨ずるまぎわ(寛平七年895)になったものです。
⑤野宮神社&嵐山亀山公園
平安時代、ここ野宮は、伊勢神宮へ赴く斎宮に選ばれた皇女が3年間身を清める潔斎の地でした。源氏物語の中では、六条御息所の娘(のちの梅壺の女御→秋好中宮:あきこのむちゅうぐう)が、斎宮に選ばれたため、親子で潔斎に入っていたところ、光源氏がお忍びで訪れます。長い間、六条を放置していた源氏ですが、いざ六条と離れるとなると惜しくなり、伊勢行きを止めにかかって、六条は心が揺らぐ…。と女性を振り回すシーンなのですが、このときの情景描写が源氏物語五十四帖のなかでも、とくに美しいとされ、好きな人が多いです。
因みに保津川沿いにある嵐山亀山公園は善治物語において明石の君が住んでいた場所に当たります。
⑥風俗博物館
「源氏物語~六條院の生活~」と題してリニューアル展示し、『源氏物語』の様々なシーンを選び、具現展示を行っております。
『竹取物語』『源氏物語』を切り口に、様々な平安時代の生活の場面を立体的に表現しております。
宇治エリア
宇治十帖の舞台の地で、藤原一族の栄華を今に伝える平等院は、宇治川の西岸にあった源重信(道長正妻倫子の叔父)の別荘をその夫人から藤原道長が譲り受け、その子頼通が永承7年(1052年)、寺に改めたものです。
周辺には浮舟ゆかりの碑や源氏ミュ-ジアムがあります。
⑦宇治市源氏物語ミュージアム
光源氏が過ごした六条院の縮小模型や貴族が使っていた調度品などが復元展示されています。映像展示室ではオリジナルアニメーション「GENJI FANTASY ネコが源氏に恋をした」を始めとする源氏物語に関する映像作品を楽しめます。
⑧平等院
光源氏のモデルといわれているのが、嵯峨天皇の皇子・源融です。その源融が建てた別荘が宇治にあり、『源氏物語』の中にも豪奢な別荘のモデルとして出てきます。源融が建てた別荘のちは、その後、巡り巡って藤原道長に渡り、息子の頼通の時代になって平等院が創建されました。
⑨石山寺
紫式部が「源氏物語の執筆を始めた地」とされています。才に溢れた紫式部が、中宮彰子から物語を書いて欲しいと懇願されたため、ここ石山寺に籠って7日間、観音様に祈り続けました。
石山寺の観音様は、清水寺と奈良の長谷寺とあわせて三観音とされ、平安時代、女性たちは観音様に願いごとを叶えてもらうために、石山詣(もうで)が流行していました。現在でいうパワースポットを訪れるのと似ているかもしれません。「蜻蛉日記」「更級日記」「和泉式部日記」にも石山寺は登場しています。