投票するのは「義務」でしょうか、それとも「権利」を行使するでしょうか。
投票日が近付いてまいりました。
今回の選挙は、歴史的な意味があるともいわれ関心が高いようですね。
先日、期日前投票に行きましたが、大変な人出で関心の高さが窺い知れました。
選挙の答えは30日に解りますが、
質問させて下さい。
私は投票するのは「義務」だと思っています。
「権利」なら投票するしないの自由があります。が、
特に、今回ほど問題が山積みになっている時に、何もしないのは、社会に対して無責任で、怠惰であると思います。
皆さんはどう思われますか。
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
投票という行為に、ちゃんと意味付けなされていらっしゃいますね。
私はひねくれているのでしょうか。
権利と言う言葉、なんか権力(法律)から与えられたもののように感じてしまいます。
反対に義務の場合は、この社会で生きさせてもらっている以上は務めである。
当然、有無を言わずに、為さねばならないことであるように捉えています。
欧米の人は個人の権利を強く主張されますが、国家に対する義務にはそれ以上に忠実ですね。
日本人はどうでしょうか。今でこそ個人の権利を強く言われますが、国や国土に対する義務意識に忠実であるかどうかは、
私には判りません。(これは国粋主義や超国家主義を賛美しているのではありません。念のために申し添えておきます。)
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
「権利と言う言葉、なんか権力(法律)から与えられたもののように感じてしまいます。」
今我々が享受している全ての権利は、本来は歴史的には人民が圧制者との闘争の末に獲得したものです。我が国は明治以来、すでに権利が確保された欧州の法制を継受しましたから、獲得したという歴史的感慨を持たないのだと思います。
明治は開発独裁でしたから、権利も時の政府から与えられたものと誤解しますが、権利獲得のために多くの先人の血が流されたことをご銘記ください。
決して与えられたと思わないでください。
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
国や国土に対する義務意識に忠実であるか、は大きな問題です。
我が国は敗戦により、国家とは人民に圧政を行うもの、国民と国家は相対峙するものとされて久しく、本来選挙で自分の政治代表を選出する民主国家では国民と国家はアイデンティティを共有すべき筈が、ご承知の通り全くの乖離状態になっているのは悲しむべきことです。
この事態を招いたのは選挙民の無責任、平素の政治・外交への無関心にも一因が求められます。関心があるのは年金のみというありさまです。
対峙する相手すなわち敵に協力したり義務を履行するなどあり得ない話です。
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
私は戦争にいっておりませんので、人から聞いた話しか出来ません。一部分の方の話ですから、正鵠を得ているか解りませんが。
ドイツ人は国の方針が決まると、一致団結してそれに当たるそうですね。(普段は個人を大事になさっていますが、国難の時は個人を、滅却出来るそうです。)
日本人は、本音と建前が違っていて、表面では国に殉じているように見えても、心では残してきた妻や子供に後ろ髪を引かれているものが多いそうです。ですから、その不満の行きどころとして配下の兵への暴力沙汰が起るそうです。
戦前ですらそうですから、今の国民は自由と言うのを履き違えているのではとその方は書いておられます。
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
私は、投票は権利といいましたが、自己の権利のみを
強調する、昨今の風潮に同調しているわけではないです。
特に今回の選挙の争点、-マニフェストというものに象徴されている-
は矮小化していると思います。
選挙民にも責があると思いますね。