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ペンネーム:イノウエさん

何とかして吃音を人に分かってもらいたい

[人生相談]

はじめまして、
吃音について、皆さまにお尋ねします。

私(現在67歳)は過去10歳から50歳まで吃音でした。
吃音をご存じない方のために少し説明します。
言葉が滑らかに出ない病気(日本では病名にない、社会不安障害や発達障害の中に含まれている。欧米では治療対象)で、幼児の発病率は約5%、80%は自然治癒して、先人になっても吃音が残る人は約1%。

言葉が出ないことは、日常生活をおくる上で、重大な障害となる。例えば学生では、先生に質問されて、答えが分かっているのに、言葉が出ないので、分からないという表情でごまかしたり。また、職場で、仕事上に必要なコミュニケーションがうまくできなく、当然、仕事ができない人と評価されてしまう。

吃音の人は社会生活の様々な場で適応できなきく、多様な適応障害を発症します。その一つが、自己評価の低さ、劣等感、対人恐怖、特に発言の必要な場でに恐怖、緊張。異常な緊張に耐えられなく、いつも回避や逃げるという行動習慣をとるようになる。

その結果として、引きこもりや鬱や自殺までも起こる。
吃音の治療法は、日本ではないに等しく。現状では全く見捨てられた状態。

吃音者が自分が吃音で困っていることを発信するのが、とても稀であることが原因。なぜ吃音者は吃音であることを表現しないのか、それは吃音であるから、口頭での表現ができないから。それと、吃音は恥ずかしいことだから、よほど、勇気がないと言えない。

私も吃音であった時、自分が吃音であることを、周囲の人に言った経験がない。言っても到底分かってもらえない。親にさえも相談しなかった。
どうせ分かってもらえない。「もっとゆっくり話したら」「もっと落ち着いて」と助言されるだけ。ゆっくりしゃべれるぐらいなら、吃音にはならないよ。

さて、皆さんに質問ですが。
吃音の方にお尋ねしたいのは、自分が吃音で困っていることを、どのようにして人に伝えようとされたのか、その方法、その結果についてです。吃音の人がカミングアウトするのは、とても難しい。どのようにすればいいのか、経験者へのお尋ねです。

もう一つは、吃音ではない方、99%の方への質問です。
話し相手が吃音だと言われた場合、どのように感じますか。ちょっと言葉が出ない程度で、どうして、そんなに深刻に悩むのだろうと、不思議に思いませんか。考えすぎ、神経質、こだわりが強い、偏屈、変わり者と思わなかったですか。
まだ、お尋ねしたいことは沢山ありますが、一応この辺で。
よろしくお願いいたします。

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回答 10件

ペンネーム:コワイさん

私は吃音者です。

物心ついたときから吃音者で何歳からなんて分かりません。
投げやりな言い方に聞こえるかもしれませんが、吃音者が正常な人にどう説明しても分かってくれないと思っています。

学校で教科書を順番に読ませられるとき、自分の順番が来るのが怖くて「うまく読めるだろうか」とその一心です。
問題が出されて答えが分かっても、答える自信がなくて手を上げられない。
勤めてからは、電話が怖い、人前で話すのが怖い、でも働くしかない。嘲笑されて恥をかきながらも働くしかない。

質問された方はご自分が治ったから聴いているのだろうと思いますが、治らない人間にとっては、失礼な言い方ですがくだらない質問です。

ひどい吃音者が治った例は私は聞いたことがありません。

ペンネーム:イノウエさん

相談者
コワイさん、こんにちわ、
勇気ある回答、本当にうれしいです。ありがとうございます。

今日はもう寝る時間なので、長い文は書けません。
明日、書こうと思っています。

この質問の回答者への私のコメント、や、私の日記「吃音が良くなったいきさつ」など、読んでいただければ、ありがたいです。

カンサンジュンさんや田中角栄さんなど、吃音が治った人はいます。
確かに、吃音歴が長く、かつ、正常な発声をしていた時期がない(幼児からの吃音者は治るのが至難かもしれません。

言友会活動には参加されていますか。

吃音は人それぞれに違っているので、一概に言えることは少ないのですが、まず、自分を責めることなく、自分のことを「よくやっている、精いっぱい頑張っている、並みの人間ができないくらいの努力をしている」と大いに認めて、ほめて、自分をいたわってください。

それでは明日また。

ペンネーム:イノウエさん

相談者
コワイさん、こんにちわ。

質問にも書きましたが、私も吃音のある間(約40年)は、自分が吃音であることを人に説明しようとしませんでした。どうせ分かってもらえない、たとえ分かってもらえたとしても、吃音は良くならないので、どうしようもないと悲観的に考えてです。

しかし、よく考えてみると、妻をはじめ、私の周囲にいる人たちは私の吃音をそっとして、それに特別な注意を向けないように配慮してくれたのではないかと思います。

吃音者は、吃音という障害のために、社会的な場で、様々な不利を経験します。恐怖や不安や緊張から、多様な回避行動が習慣となります。
この回避行動がまた、社会生活で不利を呼び、悪循環で、益々、自己嫌悪、結果、健全な自尊心が育ちません。

自尊心がなくては、人は社会の中で生きていけない。だから、自分の周囲に一人でもいい、できれば数人、仲の良い友達が必要です。みじめに失敗し落ち込むことがあっても、悩みを共有してくれる友人です。

自分は吃音でも、並みの人以上に、色々な努力をしているという、自己肯定感・自尊心を、常に、自分自身に語りかけることが必要です。

そういう仲間を得るには、言友会に参加したり、趣味の会に入ったりする方法もあります。

話は変わりますが、人生は変化や冒険や試練に満ちています。
吃音は大きな試練・変化です。

どうか、吃音を、嫌な試練と見るのではなく。あなた様なら、この重みに対応できる、この重みにふさわしいと。

私の場合、吃音は人生の3番目に大きな財産です。一番は娘が重度障害になったこと。二番は、精神障害の方との付き合い(殺されかけましたが)。

あまり、参考にはなりませんが、よろしくお願いいたします。

ペンネーム:ユウマイさん

私は吃音ではありませんが、青年時代は知人の中にそう言う人が居りました。そのような癖があると言う程度で偏見は持っていませんでした。でも、もう少しゆっくり話せば大丈夫なのではないか!と言う程度の見方でした。顔の形や得手不得手があるように人は様々です。
社会では、人の弱点ばかりついて少しでも人より上に立ちたいタイプの人が多いですね。老いも若きも元々は人間性の問題です。家庭の躾や教育の問題でしょうね。個々人の尊重と言う観点からすると日本人はまだまだ上っ面だけで人間としての精神は未熟です。大の大人が寛容性も無く人を見下すようなこと、人を馬鹿にするようなことを無意識にしています。現在のいじめと言う愚劣な行為が頻繁に起こるのは人間そのもの、社会全体が未熟であると言うことの象徴でしょう。私としては吃音者に何の偏見も無く接してきたつもりです。

ペンネーム:イノウエさん

相談者
ユウマイさま
丁寧な回答ありがとうございます。

吃音者に偏見なく接していただき、ありがとうございます。

私の経験を言います。私は中学時代、大変な困難の中で一日一日を過ごしてきました。それが原因で、学校のない日曜日は家に閉じこもって外にでませんでした。友達も多く社交的であったにもかかわらずです。

ここ30年、出身中学同学年の同窓会(約370名)世話をしていますが、同級生の誰一人、私が吃音で苦しんでいたことを知りません。
当時は先生方も知りませんでした。イノウエ君の個性だ、くらいに軽く考えていたのだと思います。吃音について、教育関係者が知らないのは普通です。吃音は人口の1%以上いるにもかかわらずです。

吃音について知らなければ、吃音者への対応が教育的にできないのは当然です。おまけに、吃音者は隠そうします。だから余計に分かりません。

私が吃音で苦しんでいたにもかかわらず、無視されたのです。

実に、偏見もない、対応だと思いませんか。

私はべつに恨んだことはありません。
多くの人々はそういう偏見のない対応をするからです。

困っている人は沢山います。
外見では分かりません。
普通困っている人は、外に助けを求めたりしません。
自助努力が世の常識ですから。

もし、人の苦悩を直観的にテレパシーで分かるよう人がいたら、この世は、とても生きがたいと思います。

人の苦しみが分からないから、いじめもあります。昔の方がずっと酷かった。福祉も人権もなかったのですから。最近は、教育で色々な障害者について学びます。

私は思うのですが、障害のない人がいるでしょうか。小さい障害を皆、持っています。好みがあれば、考え方や感じ方の偏りは当然あります。
小さな障害です。

偏見のない目で見るというのは、釈迦くらいにならないとできないと思いますが。

つまらないことを書きました。

どうか、偏見のない目で読み飛ばし、笑いとばしてください。

ペンネーム:ユウマイさん

時代の精神性の問題です。世の中はどんどん文化が開け継承され博愛的になって行きますが、苦労して、経験して形成される人間性も人の寿命と言う制約があり、心が豊かになっても、人を尊重できるようになっても、やがて誰もが亡くなってしまいます。新しく生まれてくる人間はまた始めから人間形成です。故にその時代の風潮に染まりながら生きるようになってしまいます。やはり、親や教育が本当の人間性を育成しなければ、このような偏見は無くならないでしょう。そういう環境ですから運悪く生涯を持った人は苦労してしまいますね。
人と同じである必要はありません。勇気を出し、周りを気にせず、強くなれ!強くなれ!と応援をしたいですね。吃音は周りを気にしなくなった時から治り始めます。この法則をみんなが分かると良いですね。
重ね重ね失礼をいたしました。。。

ペンネーム:イノウエさん

相談者
吃音は周りを気にしなくなった時から治り始めます。
まさに、そのとおりです。
ユウマイさんは、吃音について、よくご存じです。
私こそ、失礼をしました。

ペンネーム:サヤカさん

数日前に記事を拝読したとき、完治されてから20年近く経っているのに、なぜ今更お悩み相談に記事を投稿されたのだろうと、少しばかり、懐疑的になっていました。

私は今現在、まさに吃音と闘っていて、発症して35年たつのに、今が一番酷い状態で、しかも日ごとに深刻になっていき、あまりに精神的に辛いので精神安定剤を飲んでも全く効き目がなく症状は悪化の一途。

>自殺する人も多い病気です。吃音は24時間の病気です。眠っている時も、吃音の夢でうなされます。
>例えれば、バンジージャンプを一日中繰り返し繰り返しやっている感じ。それも高所恐怖症であるにもかかわらず。

全く同じ思いです。
おそらく、健常者は、「そんなことぐらいで自殺するなんて」と思うのでしょうが。

私は今日、職場で声が出ない状況にたまりかねて、吃音を告白しました。
緊張と恐怖の中で、絞り出すような声で、苦しまぎれのカミングアウトです。

皆がどれほど理解してくれたかは疑問です。

私より15歳年下の係長が「大丈夫だよ」といたわるように声をかけてくれました。

でも、今後、この告白が吉と出るか凶と出るかはわかりません。
これを機に、ますます強迫を感じたり、発音を意識しすぎる恐れもあるのです。

毎朝毎晩、いえ、日中も、起きている時間の殆どの時間、「声の出し方」ばかり考えています。

この拷問のような日々が終わるのはいつなのだろう…。

昨夜、職場の皆と楽しく飲んだので親睦も深まり、アルコールの余韻も残っていたし、心身とてもリラックスして、「今日は大丈夫だ、きっと声がスムーズに出る」ととても明るい気持ちで出勤したのに、職場に入って挨拶しようとした途端、体が硬直して、いつもと同じ発音への恐怖や緊張に襲われた自分に激しいショックを受けました…。

今日は、辛くて、辛くて、仕事が終わってから、カラオケボックスに一人でこもって発音練習するつもりが、気がつくと号泣していました。

ペンネーム:イノウエさん

相談者
サヤカさん、はじめまして。
回答、ありがとうございます。

吃音を卒業して20年近く経つのに、どうして質問したのかといいますと。
十年前、吃音とも縁が切れたと思っていたら、言葉の教室の家族会の合宿に呼ばれて、吃音の経験を話す機会があり、その時、久しぶりに自分の吃音体験を振り返っていて、すごい発見をしたのです。

私は10歳からの吃音で、特に中学が大変でした。
小学6年から中学3年までの4年間、日曜日は家で一人きりで過ごすのが4年間の習慣でした。
私はおしゃべりの社交的な人間で、毎年学級委員もしていました。それなのに、学校が休みの日曜日、ほとんどの同級生は外で遊んでいるのに、塾はまだない時代、何故、私は家に閉じこもっていたのか、その理由として思っていたことは、「気ままに空想したり、一人遊びが好きだったのだろう」と、ずうっと何十年も思い込んでいました。

それが、言葉の教室で大勢の前で吃音の大変さを話しているうちに、
日曜日だけの閉じこもりの原因が、鮮明に分かったのです。
平日は学校などで、吃音の苦しみにのた打ち回っているので、日曜くらいは、おしゃべりしないで済む、我が家での閉じこもりになったのだ、と。

私がびっくりしたのは、そんなに単純明快な理由が何故、何十年も私の頭に浮かんでこなかったのかという、事実です。

それで分かったのです。
吃音が、すごく大変なので、苦痛だとか、嫌だとか、意識していたら、前に進めなくなる。どんなに苦しくても、とにかく声を出さないといけない。
嫌だと思っていたのでは、こんな苦しみは乗り越えられない。

苦しいという意識を完全に意識下へ抑圧していたのです。

すごいですね。
改めて、自分にご褒美をあげたいぐらいです。

先生も仲間も親も、誰一人頼りにできない。
自分一人で立ち向かうしかない。

それも、必ず、失敗するにも、かかわらず。です。
どんなに、みじめに、砕けても、負けを認める訳にはいかなかったのです。

続きが長くなるので、続きは日記「吃音が良くなったいきさつ」で書きます。

サヤカさんも、つらい毎日だと思います。
もし、私が過去の自分に出会えたら、
そんなに一生懸命に頑張らなくてもいいよ、と言ってあげたいのですが。

吃音者が吃音の苦しみから多少とも抜け出すには、周囲の環境を良くする以外にはないと思います。周りの人々が、吃音の苦しみを少しでも理解して、配慮してもらえるようにするのです。

私は転職を繰り返し、最後の職場は、会話が重要ではないところになったので、たまたま良かったのですが、そうでない職場で、少しでも理解する人を増やすしかない。
そのためには、吃音がどんなに大変かという情報を伝える、知ってもらうしかない。
それには、どうすれば、うまく上手に吃音を説明できるかを考えなくてはならない。
カミングアウトの具体的道筋、やり方、ノウハウです。

それが知りたくて、質問Qへ投稿したのです。

ペンネーム:サヤカさん

お返事ありがとうございます。

>そんなに一生懸命に頑張らなくてもいいよ、と言ってあげたいのですが

そう思うことができるのは、完治なさった証拠ですね。

声を出そうと意識するが早いか、全身を襲う極度の緊張と恐怖は、もう条件反射化していて、今は「頑張った結果」でしか、声を絞り出せません。

本来、声は力まないで出すものですが、その身体のメカニズムを、その瞬間、身体も心もすっかり忘れてしまうのです。
リラックスしようとすると、声を出すための最低限の力までも抜け、音の抜けた呼気しか出せないのです。
どうすれば、声が出るんだ!?(焦)(涙)と途方にくれます。
それで、結果的に頑張って頑張って、肉体的にも精神的にも最も声の出にくい状況を作り出してしまい、それに抗いながら声を絞り出すというありさまです。

>苦しいという意識を完全に意識下へ抑圧していたのです。

今の職場は人間関係は最高なのですが、オフィスの構造は、吃音にはたぶん最悪です。
狭い部屋に、皆が密着するように机を寄せ合い、静かにデスクワークをこなしていて、電話も滅多に鳴らず、ため息さえ、部屋中に響くほどです。

いつも騒騒しく皆がバタバタしていた前職では、吃音の悩みは意識していなかったつもりですが、さきほど、何気なくPCを見ていると、吃音解消のために連日発声練習していた録音が残っていました。
吃音から自分の注意をそらすために、藁にもすがる思いで、断食を5〜6日続けた記録も残っていました。

吃音を気にしすぎる一方で、それに苦しんでいる自分を自分の意識からも除外しようとする気持ちとが常に格闘しているみたいです。

でも、小心で気弱な自分もいますが、勝気で攻撃的な自分も確かにいます。高校時代までの私は、圧倒的に後者の顔を表に出していました。
無意識にその自分を押さえ込んでいるのは何なのかを考えつつ、吃音の改善と、自分の心を制御する術を身に着けたいと思います。

今後は、日記の方を大いに参考にさせていただきますね。
心のこもったお返事ありがとうございました。

(なお、コメントされている「ハラタツさん」は、「吃音」をきっかけに趣味人で知り合ったお友達です(^^))

ペンネーム:ハラタツさん

初めまして。
イノウエさんは、10歳から50歳まで吃音だったと書かれてますが、現在は吃音の症状は全然出ないということなのでしょうか。
私は、13歳の頃に、主に母音から始まる言葉をうまく発声出来なくなり、現在に(64歳)至っております。

日本に於いて吃音者でない一般の方々の中で、吃音に対して正しい認識を持ってる方は、ほとんどいないだろうと思います。

それで、私は、とにかく吃音であることを周囲に知られないような態度で生きております。

退職をして、一人暮らしをしている今が、一番精神的に楽ですね。
人との接触を最小限にしておりますので、無口でおとなしい人間という風に振る舞っていれば、吃音であることを他人に知られることは、恐らくないでしょうから。

吃音者でない方々の助言などは、結局は、何の役にも立ちません。
吃音を持つ人の劣等感や悩みを、本当には理解出来ないからです。
なぜ吃音で悩むのかとか、他の病気や障害を持つ方々がそれを克服して、立派に生きている例等をあげて、頑張って生きて下さいなどと言うだけです。

私には、吃音であることを、他人にカミングアウトすることは出来ないです。

これからも、吃音を気づかれないようにして、あんまり自分からは話さずに、適当に相槌を打ちながら、会話をするという形を取り続けるだけですネ。

イノウエさんが、50歳を境にどのようにして吃音を治されたのか、教えていただけませんしょうか。

この趣味人倶楽部で知り合った方で、吃音を持ちながら働いている方が一人、何とか吃音を治そうとしていらっしゃいます。

少しでも、その方の助けになればと思い、お伺いする次第です。

ペンネーム:イノウエさん

相談者
ハラタツさん、こんにちわ。
回答、大変、うれしいです。

吃音経験者が、せめて一人くらいはいないかと、
待ち望んでいました。

吃音を経験したことがない方が、
吃音の苦しみを理解することは至難のことです。

私は現在、重度障害の娘(35歳)の介護をしています。
私は医療機関で働いているので、重度障害者を世話する親たちを見る機会がありましたが、重度障害者の親は一様に苦労を背負った顔をしています。話しかけるのをためらわせる雰囲気があります。
親しくなって、本音の話が聞きたいと思っても、なかなか親しくなれません。すごい断絶を感じました。

娘が重度障害になり、やっと親しく話せる人ができました。
やはり、同じ立場にならないと意思疎通が難しいのかもしれません。

重度障害の親になり、認識を新たにしたことは、普通の人、健常者と全く同じだということです。
確かに、普通の人がしないような重荷はありますが、喜びや発見や
生活の充実は、健常者以上にあります。生活の密度や幸せが普通の人よりも、ずっと、ずっと、豊かです。

重度障害者の親というのは、すごい恵み、最高に素晴らしい好運であることを発見しました。

吃音の苦労も、大変です。自殺する人も多い病気です。吃音は24時間の病気です。眠っている時も、吃音の夢でうなされます。声を出さないで生きることはできない。私は相当なおしゃべりでしたから。
一言一言がこれほどの緊張する体験、まさに、異次元への飛行、例えれば、バンジージャンプを一日中繰り返し繰り返しやっている感じ。それも高所恐怖症であるにもかかわらず。

私の場合、吃音が消えてしまったのは、主に、ボランティアに一生懸命になったせいです。

話が長くなるので、続きは日記の方に書こうかと思っています。

日記のテーマは、「吃音が良くなったいきさつ」にでもしましょう。

ペンネーム:ハラタツさん

イノウエさん、詳しい経緯をお教えいただき、ありがとうございました。

何かしら気持ちが救われた思いです。

今後とも、どうぞ宜しくお願いします。

ペンネーム:オオデブさん

99%の側です。

どう感じるかと言われたら、自分自身はどうも感じないけれど、その立場の方は嫌なことがたくさんあるんだろうなって思います。

私自身が1%の側の体型で、小さなころから嫌な思いをたくさんしてきたからだと思います。

何しろ子供のころから痩せてることがなかったのです。
そのせいで体育は苦手、走ることもダメ、鉄棒もダメ、いくら努力してもダメなのです。
普通の体型の人は、痩せる努力をしないからといいますが、いくらしてもダメなのです。
他の人より大食いだとか、間食するとか、そういうことはないのですが太るのです。

他人と違うと言うのは本人しかわからない苦痛です。
私は自分が嫌な思いをした分、その他大勢と違った人に対しては何も感じません。
中にはそういう人をあからさまに、珍しそうに見たりする人もいます。
バカにしたような態度の人もいます。

そういうことだけはしたくないし、そういう人間にはなりたくないと思っています。

ペンネーム:ムーミンさん

先ず、私は吃音者(症)でない立場です。

吃音者には、次の三つのタイプが有るとされています。

連声型:  たとえば「おはようございます」という文章の場合、発声が
       「お、お、お、おは、おはようございます」 等、 ある言葉を
       連続して発生する状態。

伸発:   お、------- はようございます」と、語頭の音が引き伸ばされ
       る状態。

無声型: 「ぉ、……(無音)」となり、最初の言葉から後ろが続かない
       状態。(単なる無口か、意見無視しと勘違いされる)

意志を伝える時には深刻なのは上記 「無声型」ではないでしょうか?。

通常の吃音者の場合、話方に少し特徴があるていどでは 「訓練」 で
克服する事は比較的容易でしょうが、「無声型」の傾向が有る場合に
は『素直に相手に話して理解を得る』 が必要ですネ。

その上で・・・
うつ病、パニック障害、トラウマ(劣等意識)障害等の精神治療が必要
かもしれません。

ペンネーム:ネコタマさん

私が通学していた高校のわりあい近いところに、そういう人たちだけが通う学校があって、お昼休みや学校帰りに話す(遊ぶ?かな)機会がありました。

言葉が出てこないと、ジェスチャーで話してくる子もあって、私は、「あ、それって・・・(何とか***)!」と当てると、ガッツポーズで喜んでくれる子もいて、面白いからちょくちょく遊びに行ってました。

彼らは、ちゃんとお話が出来る子は少なくて、「(何とか?)・・・」と、言ったまま、固まってしまう子もいるので、「それは、**でーす!」など、ふざけて言ったらバカウケしてくれて、とても楽しかったのを覚えています。吃音があったりして、きちんと相手に話すことは出来ないかもしれませんが、気持ちは伝わってきたと思っています。

私はちょうどその頃、高校3年で、高校を卒業した後の自分の身の振り方をどうするか決めかねて悩んでいた頃だったので、その子たちと知りあって心の交流をするのが本当に癒される時間でした。

「こだわりが強い」ところは、私自身にもありますので、それ自体を悪いとは思いませんでした。

「どうしても短大は出たい!」と、高校卒業後、1年かけて自分の給料を貯めて学校に行ったことも、親戚の中では ”相当な偏屈だ!”と思われていたようですし・・・

その後、障がいがあって、吃音がある少年にパソコンを教えたことがありました。半身マヒがありましたので、片手だけでキーボードを打つ練習をしました。何しろ片手だけですから、どうやったら早く打てるか、いろんな研究をしました。でも、彼もだんだん楽しくなってきたみたいで、「パソコンがだんだん面白くなってきた」「早く打てるようになったよ。」と、時々メールをくれました。

私にも出来ないことがあります。私は、普段はパソコンの世界(2次元)に生きてますから、3次元の現実に戻ると実はものすごい「方向音痴」になってしまうんです。だから、人間には、体だけではなく、いろんなところに障がいがある・・・と、思っています。

(障害をあえて 障がいとしています。昔、ヘルパー試験を受けたとき、障がい者は他人に害を与えるものではありませんと言われたので。)

ペンネーム:イノウエさん

相談者
あたたかい回答、ありがとうございます。
回答が多いので、あなた様を代表にして感想を書きます。

障害や悩みやコンプレックス、また試練は誰にもあります。
問題はそれらの課題が、当人に対応できるものかどうかです。
幼い子供にとって両親の不和はどうしようもありません。
ストレスへの耐性は人により様々です。
生まれながらに精神的に強い人もいます。
私の友人に、親から虐待を受けて育ち、何でもないことですぐに逆上する男がいました。勿論、肉親からも嫌われ、世界中を敵にしている生き方です。てんかんと人格障害の病名で時々病院にもかかっていました。前科も沢山あります。当然、友人もいません。こういう障害者は他人に害を与えます。本人の自覚や努力では何もできません。
障害や悩みには本人ではどうにもできないものがあります。

当人ではどうにもできない障害は、周りの人々や社会が解決を模索するしかありません。
成人の吃音の場合も、社会不安障害に似ていて、大まかに言って、約三分の一が本人の努力で良くなり。三分の一が吃音を抱えたまま何とか社会に適応していき、残り三分の一が、吃音を原因とする二次的障害(例えばうつなど)で苦しむことになります。

そういう病気もあるのか、病気は本当にいろいろありますから、病気に苦しむのは運命だから仕方ないか。

しかし、吃音の場合、だいたい若い間は、軽いものです。学校を出て社会の中で、適応できなく症状が悪化していきます。軽い間に、吃音を生きるノウハウを会得できたら、吃音者ももっと楽になれると思うのですが。

そのためには、吃音者が自分の吃音の大変さをきちんと訴えることが、まず大事です。吃音の大変さを理解してくれる人が周囲に増えるほど、吃音者は安心して吃音を続けることができるからです。
どうか、皆さま、ご理解ください。

ペンネーム:ハジルナさん

吃りは障害かも知れない。対人接触障害の方は、皆あなたと同じような悩みを抱えて生きているだろう。
対人恐怖症・対人緊張症など・・・・・赤面恐怖 ・スピーチ恐怖・電話恐怖・会食恐怖 ・視線恐怖・書痙・振戦恐怖・発汗恐怖・腹鳴恐怖・自己臭恐怖・排尿恐怖 ・・・・
でもね、精神的な障害者以上に、身体障害者はゴマンといることをお忘れなく。

あなたの文章を読んでいて最初に感じたのは、文章力に優れていることです。口に出すと言いづらいので、文章を書く能力が自然に身に付いたのではないでしょうか。
恥じることはありません、胸を張って生きましょう。

ペンネーム:マイラバさん

小学校の同級生にいました。

さほど親しくはなかったし、なにせ子供でしたから、そのことについて話したことはありませんが、
私も回りも、その子は、そういう子、というだけのことでしたね。左利きの子や、いつも首をかしげていた子、病気で体育はいつも見学の子・・・そういう子と同じで、普通に接していたと思います。

>話し相手が吃音だと言われた場合、どのように感じますか

すみません。上記のような感じなので、「そうですか〜」としか感じません。

>ちょっと言葉が出ない程度で、どうして、そんなに深刻に悩むのだろうと、不思議に思いませんか。考えすぎ、神経質、こだわりが強い、偏屈、変わり者と思わなかったですか。

子供の頃は全く思い至らなかったですし、
今、そういう人と知り合っても、特に思いませんが、
あなたの書き込みに関しての感想なら、
正直、それがどうした?と、思います。

吃音者の人が全員同じとは思えないので、悩む人もいればそうじゃない人もいるんじゃないか、と思いますね。

あなたの頭の中は、そのことでいっぱいかもしれませんが、世の中にはいろんなことで悩む方がいます。他人から見れば、そんなこと気にすることはないよ、ということでも、本人は気にして考えてしまう・・・それは吃音に限りませんよね?
申し訳ないですが、いろんな人がいろんなコンプレックスで悩んでいると思います。

言葉が出なくても、手は出るんでしょう?
困っている人がいたら、手を差し伸べる。それでいいんじゃないですか?

ペンネーム:ケセラさん

吃音と伺っても、病気だとは思わないでしょう。
感覚的には、目のチックと同じ感じの口のケースって感じでしょうか?

私は幼い頃から、激しい人見知りでした。
親しくなった人からは、暗いなどは言われませんでしたが、
距離のある教師からは、さんざん嫌なことを言われました。
人を評価する時、明るい暗いだけで判断していた時代です。
斜視でさえ、教師から皆の前で、
睨むんじゃないと言われたほどです。
今の小中学校の教師なら、多少の知識はあるかもしれませんが、
そういう程度なんですよ。日本社会は。
上っ面だけ、日本人は繕って優しいふりが上手いのです。
もともと、病者・障害者を排除して、隔離してきた歴史がありますから、
期待しない方がいいです。

私は勇気を出して、吃音と言っても、
日本社会では、まだ多くの人が理解しようとしてくれる社会ではないと思います。
無駄に感じることが多いように思います。

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