自分史と日本近代史(4)~~明るい青春時代
高校は村にはありませんから町へ出て下宿しました。 毎月の下宿代3,000円と米の現物【当時はまだ配給でした】は母の厄介になりました。 学校は元女子高校で6クラスの内4クラスが女子オンリーの家庭科、2クラスが共学の普通科進学コースでした。 学校では友達も男女とも沢山出来ました。 娯楽は映画館を経営している家の息子がこっそりタダで入れてくれましたので映画、時々歌謡ショーなんかもありました。 勉強も…
高校は村にはありませんから町へ出て下宿しました。 毎月の下宿代3,000円と米の現物【当時はまだ配給でした】は母の厄介になりました。 学校は元女子高校で6クラスの内4クラスが女子オンリーの家庭科、2クラスが共学の普通科進学コースでした。 学校では友達も男女とも沢山出来ました。 娯楽は映画館を経営している家の息子がこっそりタダで入れてくれましたので映画、時々歌謡ショーなんかもありました。 勉強も…
ある時先生に訊かれました。 「きみ大きくなったら何になりたい?」 私は即座に返事しました。「天皇陛下になりたい」 先生は唖然としてどう努力しても天皇陛下にはなれないよ、と諭してくれました。 「じゃあ総理大臣でもええわ」 要するに偉くなりたいという出世欲そのものだったわけですがのちになって考えますと、幼子になりたいと言われるほど天皇は国民に染みついていたのですね。 しかも終戦直後、すべての価値…
さて終戦になりました。 世の中一変したのですから田舎住まいの一人の少年にも多いな影響を与えました。 まだ学校に上がっていませんから今までの教科書に先生の指示する通り黒塗りをひた経験はありません。 翌年小学校に入学した時に配られた教科書は新聞紙一枚でした。それを自分で切り分けて綴じ込んで教科書にしたわけです。もちろん色刷りも挿絵もありませんでした。 のぼるのぼるあさひがのぼる と書いてあったと思…
近頃は「自分史」を書く人が多い。自分史を書くための講座があるし、書き方を教える本も出ている。私はこれまでに自分史といえるものを2冊書いた。 その一冊は、大学卒業後会社に入って勤続30年の時点で、22歳(1963年)から52歳(1993年)までの30年間の会社生活のあれこれを綴ったものである。 題して「随想 私の勤続三十年」。この本の構想と執筆には約3か月かかった。 富士通のワードプロセッサー…