「自分史」の日記一覧

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自分史と日本近代史(4)~~明るい青春時代

高校は村にはありませんから町へ出て下宿しました。 毎月の下宿代3,000円と米の現物【当時はまだ配給でした】は母の厄介になりました。 学校は元女子高校で6クラスの内4クラスが女子オンリーの家庭科、2クラスが共学の普通科進学コースでした。 学校では友達も男女とも沢山出来ました。 娯楽は映画館を経営している家の息子がこっそりタダで入れてくれましたので映画、時々歌謡ショーなんかもありました。 勉強も…

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自分史と日本の近代史(3)

ある時先生に訊かれました。 「きみ大きくなったら何になりたい?」 私は即座に返事しました。「天皇陛下になりたい」 先生は唖然としてどう努力しても天皇陛下にはなれないよ、と諭してくれました。 「じゃあ総理大臣でもええわ」 要するに偉くなりたいという出世欲そのものだったわけですがのちになって考えますと、幼子になりたいと言われるほど天皇は国民に染みついていたのですね。 しかも終戦直後、すべての価値…

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自分史と日本近代史(2)

さて終戦になりました。 世の中一変したのですから田舎住まいの一人の少年にも多いな影響を与えました。 まだ学校に上がっていませんから今までの教科書に先生の指示する通り黒塗りをひた経験はありません。 翌年小学校に入学した時に配られた教科書は新聞紙一枚でした。それを自分で切り分けて綴じ込んで教科書にしたわけです。もちろん色刷りも挿絵もありませんでした。 のぼるのぼるあさひがのぼる と書いてあったと思…

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月の満ち欠け No.86 − 嵐の中にいた −

平成22年(42歳)に、【難治性うつ病・不安神経症(パニック障害)】と診断されてから、平成29年(49歳)に、【双極性障害Ⅱ型・ADHD(注意欠陥/多動性障害)・ASD(自閉症スペクトラム障害/アスペルガー症候群)・複雑性PTSD】へと診断名が移行するまでの7年間のことを書こうと思ったのだが、これが大変に難しい。 障害と、投薬と、それに振り回される自分と周囲の人のこと。私を助けてくれた人のこと。…

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「早くお迎えが来ないかな」

昨年12月27日に亡くなり、30日に通夜、大晦日に告別式と慌ただしかった義伯母の逝去でしたが、お彼岸ということで1kmほどの距離なのでウォーキングがてら伯父の家へ線香をあげに行きました。(と言っても、私がA〇AZONで我が家の分と一緒に買って贈った電子線香のスイッチをいれるだけですが) すぐ隣家に嫁いだ長女が住んでいて、朝夕の食事の世話はしていますが仕事(大学講師)を持っているので日中は殆ど一…

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6歳の幻想1:大人像

おはようございます。 皆様、きっとさまざまな経験を積んでこられて、 そして「今」を楽しんでおられると思うのです。 昨日、ふと自分の子供のころのことを考えていました。 私の小さいとき(たぶん小学1年ころ)、親を中心として大人って「怖い」って思っていました。 多分、4~5歳の時の「宴会」という場に連れて行ってもらったことがあるのですが、そこで男性が喧嘩をはじめて、そして「血」をみたことが一つ…

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記憶は消える 記録は残る (二つの自分史)

近頃は「自分史」を書く人が多い。自分史を書くための講座があるし、書き方を教える本も出ている。私はこれまでに自分史といえるものを2冊書いた。 その一冊は、大学卒業後会社に入って勤続30年の時点で、22歳(1963年)から52歳(1993年)までの30年間の会社生活のあれこれを綴ったものである。 題して「随想 私の勤続三十年」。この本の構想と執筆には約3か月かかった。 富士通のワードプロセッサー…