佐藤愛子さんの『私の遺言』について
佐藤愛子さんの『私の遺言』などのノンフンクションもののなかの、本人の別荘での超常的体験談は真実だと思いますか? 屋根を歩く音などはまだいいのですが、荷物の数が減る、換気扇が外されて、などは半端ではないものです。ちなみに、登場人物の娘さんも同時体験をしているので、佐藤さんだけの幻覚ではないと思いますが。
佐藤愛子さんの『私の遺言』などのノンフンクションもののなかの、本人の別荘での超常的体験談は真実だと思いますか? 屋根を歩く音などはまだいいのですが、荷物の数が減る、換気扇が外されて、などは半端ではないものです。ちなみに、登場人物の娘さんも同時体験をしているので、佐藤さんだけの幻覚ではないと思いますが。
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
佐藤愛子さんのご体験については、間接的に別の作家の
ご著書を通じて存じておりました。
すでに社会的評価が高く、令名を馳せている著名人が、理性
や人間性に疑義を抱かれかねない内容の著書を自ら進んで
上梓するということは非合理的かつ自損的行為といえます。
人間が自らの不利益を覚悟してことを為す際の動機として
通常想定しうるのは「良心」に基づく誠実さと素直さ、乃至は
真実と真理への敬意です。
従って、佐藤氏の著書には、彼女にとっての「真実」の内容が
記されていると判断して間違いないでしょう。
画家、作家、エッセイストの、故 宮迫千鶴氏や、福島大学の
元教授 飯田史彦氏など、公表することで今まで築いた名声
や社会的評価を貶めることになるような自らの体験内容を
著書に記されることがここ10年位で珍しくなくなっています。
物心両面で本人にとって不利益(デメリット)が大きいことを
あえてする、その行為の内にこそ「真実」がある、と判断する
方が「理」に適っていると僕は考えております。
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
この北海道の別荘の別荘の霊を静めたのが江原啓之ですよね。これはウソだと言ったら、江原の霊視が全部ウソになるような気がします。
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
兄貴のいたずらだったのでは?
あの兄貴なら、そのくらいのいたずらやりそーwww。
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
佐藤愛子さんがお書きのものによりますと、事の発端は別荘ですが、現象は帰京後も続いていたとのことでございますね。
ポルターガイストと一般的にいわれるような現象は、否定も肯定もどちらでもよろしいのではないでしょうか。
私は、佐藤愛子さんの長年のそれとの闘いの後に開いた悟りの境地の方が興味深く感じられました。
お盆のシーズンになりますと、人の死や超常現象についての話題が老いも若きも多くなるようでございますね。
私は日本人じゃないです。 だから、質問を上げます。 浜辺に「波が打つ様子の擬態語」はどんなものがありますか? お願いします。
話題の村上春樹氏の本を読んだことありません。 彼の著書でオススメのものを教えてください。 ぜひ、読んでみたいと思います。 男、69才
小沢一郎の数に頼るやり方が政権交代をもたらしたと言えます。このやり方は薩長同盟を画策した坂本竜馬ともやり方が似ているように思われます。ともに数による多数ということが頭の中で重要な要素を占めています。 しかし現実には小沢一郎は悪評が高く、坂本竜馬は人気があります。...
司馬さんのこの作品は出来上がってから相当の年数がたっています。それなのに、これまで映像化されていませんでした。何故だったのでしょう? 知っている方は教えてください。知らない人は考えてください。 (12月6日 14:22 追記:) 事前にお断りしませんでしたが、...
ソフト開発の専門用語を教えてもらいますか?
ノンフィクションの戦記物で面白い本はないでしょうか。 第2次世界戦争の局地戦など
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
飯田史彦氏の不思議な体験談が書かれている本も読みましたが、よくも国立大学の教授がここまで書かれたな、と思いました。そしてその後、その地位を退き、スピリチュアルカウンセラーになられました。よほど、強いものがあったのでしょうね。
同様に、佐藤愛子氏も、どうしても訴えなければならなかったものがあったのでしょうね。 そう信じたいと思います。
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
飯田氏の著書を読んでから、背中を押されるようにして、僕も体験を少しずつ
他人に語る(れる)ようになりました。
また、自分の体験を伝えることが大袈裟に言えば自分の使命のひとつ、と
いうことも判ってきました。
佐藤氏も飯田氏も宮迫氏も、同様の思いを僕以上に強く抱かれたのだと
推察しております。
僕のような市井の一市民より、すでに名声を得ている著名人が語られた方
が受け入れられやすい、という一面もありますが、一方でそれまでの愛読者
や支持者を失い、世間から呆れられ、疎まれるリスクもあります。
だからこそ、毀誉褒貶をものともしない心境で綴られた真実の体験談で
ある、と我々も信じることができるでしょう。
不思議な体験は、現在も僕はリアルに時折味わわされています。
信じるか否かのレヴェルではなく、それは僕には厳然たる「事実」なのです。
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん