頬粘膜ガン手術後の経緯
娘がまる四年前、右頬に頬粘膜ガンが発見され、放射線を三十数回受け、小さくなりましたので摘出手術を受け、顔が変貌いたすかとの心配もよそに手術は大成功と喜び居りましたが、一週間後、頬にプッツとニキビ上の物が出て参り、そこから日ごとに膿が出始め、退院後約3か月ほどで顎の骨が七センチ程、むき出しとなり、診断は放射線により骨がダメージを受け切除致さねばならぬとの事。
住まいの近くの総合病院を紹介され、其処にて、むき出しの骨を切除。肩甲骨から骨を移植致し退院2〜3か月後縫合されました皮膚の近くから膿が出て参り、原因は残した顎の骨が浸食されての結果と。再び腿の肉を埋める手術。リンパ切除と入退院を繰り返しました。
口内の歯茎は失った方へ偏り、噛み合わせいたす事が出来なくなり、流動食からテイスト状の食事となり、退院後二年経ちましたが未だに咀嚼不可能の為、食事の度に私が調理致したものをミルサーにかけ糊上に致し、食事致しております。
最初は吸い飲みの水さえ半分はこぼれる程、飲み込む事が出来ませず、近ごろ漸くスプーンで口に入れられる様になりましたが、口からはみ出しているのを覚る感覚が失せておりますので、鏡を見ながらの食事でございます。
手術を受けました病院で、癌患者の集いがございまして、同病者との交わりも心安らぐのではと参加を勧めまして二度ほど出席致しましたが、会費に対しての茶菓が出ましても、頂くことが全く出来ませず、結果は返って落ち込むことになりました。
皆様方の中で、同様な状態でどの様に御生活なされておいでかを、又、良き方法を見出しなされておられませば、お教え頂きたく存じます。もちろん外食や旅行も出来ません。ミルサー持参でも電源がテーブルに無ければ、又、ミルサーの後始末が出来なければ何処へも出かけることなど出来ませず、旅行等は夢のまた夢となりました。宜しくお教え下さいませ。
ペンネーム:ナナさん
ご助言の形成外科医にて二度手術致しましたが放射線による骨の溶けだしました所を筋肉を取って埋めましたが、その為、初めは口も思うように開きませず近ごろ漸くスプーン、箸で少しづつ口中へ入れられる様になりまして、これ以上は出来ないとの事で、終生、現状を続けねばならぬ現状でございます。
食べ物が口からはみ出しましても感覚が無き為、鏡を見ながらの食事でございますが、この状態は移植した周辺は神経が通じていないので、感覚が無い為との事、致し方なき様でございます。
整形外科で何とかなるかも知れませんが、美容に属するため莫大な費用が掛かり、到底高根の花と感じております。
娘は口から頂けるだけ幸せと、胃ろうにて味わえない方から見ませば、不自由ながら、混ぜ混ぜの糊状態ながら、口から入れられますだけ幸せと申しながら、毎食二時間かけて食しております。
お言葉お寄せ頂き、心より感謝申し上げます。お考え頂けます事に大変心強く嬉しく存じます。