趣味でつながる、仲間ができる、大人世代のSNS、趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)

よくあるご質問

松緑の考え

松緑のブログに書かれていることです。
あくまで自分個人の意見と断ったうえでですが。
歌舞伎座での陰陽師にことよせて、新作とはいえ歌舞伎座で上演している歌舞伎にカーテンコールの要求は止めてほしいとのことです。
色々な理由を書かれているが、ルールとして歌舞伎にカーテンコールは存在しないこと、その代りとして「口上」「切口上」「引っ張りの見得」「幕外の六方」という歌舞伎独特の演出があること、そして、そういうところに歌舞伎独特の美学があるとも書かれている。
小さいけれども深く、濃い、核の大切な部分を蔑にしてしまうと、行く行く歌舞伎はそのアイデンティティーを無くして、他の演劇に埋もれてその姿を失ってしまう気がする、とも。
松緑はこれらのことをルールと言っているが、「伝統」と言い替えても良いと思う。
歌舞伎には本来拍手もないということを聞いたことがある。

勿論、色々なご意見があり、拍手もカーテンコールも観客の率直な感情表現であり、感動した舞台や役者にカーテンコールを要求するのは自然な事と仰る方も多いだろう。
だが、それら従来の伝統やルールを無視してきた結果、今の歌舞伎はどうなって来たか。
勧進帳の弁慶の飛び六方で手拍子をする、土蜘蛛の智籌の出で拍手をする、ろくに間も分からず下手な掛け声やチャリ掛けをする。酷いのは油地獄の殺し場で笑う。

舞台を観て、その感動や喜びを素直に表すのは結構ですが、それらは他の歌舞伎ファンのみならず、役者にとっても迷惑であること、芝居自体をぶち壊すこと、観終わった後の余韻に浸る邪魔になること等々を理解してもらいたいと思います。

勿論、これも松緑同様、私個人の考え方です。
もし同感の方がおられたらコメントを頂けると心強いです。

コメント

まっちゃんさん

2013年09月25日 21:33

故梅幸の著書に「拍手は幕が下りてから」という題名が付けられました。
日本の芸能は大体余韻を味わうものが多いのです。
自分が対象物に近づかないで、自分のエリヤに引っ張り込もうという大それた時代が、全世代に蔓延しているようです。

あつしさん

2013年09月24日 21:29

勘三郎も玉三郎も自身の公演ではカーテンコールに応じます。
でもそれは自身の公演で、且つ全くの古典ではない時、或いは従来の歌舞伎の枠に捉われないような演目のときに限られていたような気がします。
本来の古典歌舞伎を演じた時は二人ともカーテンコールには応じられなかったと思いますし、当然スタオベもありませんでした。
勘三郎も玉三郎も、新しい試みに挑戦する意欲と共に、本来の歌舞伎をも大変大事に考える人だからこそのことでしょう。

悠月ゆりかさん

2013年09月23日 23:19

歌舞伎にはカーテンコールもスタンディングオベーションも必要ないと思います。
それが伝統であり、観客もそれを承知で観るべきだと思っています。
歌舞伎役者が、演じ終わった後の顔で、観客の前に姿を現すのは無粋だとしかいえません。

おぶちゃんさん

2013年09月23日 22:19

歌舞伎役者も見る方も、粋でかっこいい人たちだったのでしょうね。

それと、ほんとの大人。それぞれの役割をきっちり承知していて、それぞれに「お構いなく」なつきあいなのかな。でも、もちろんお互いを認めているんですけどね。

知ったふりと知らないふりが、できる人。関係ないかな。でも、そんな人を目指したいなあ。
せっかく歌舞伎を知ったのだから。

あつしさん

2013年09月23日 21:57

カーテンコール同様に、スタンディングオベーションも止めてほしいなあ。
あれをやられると後ろに座っている者は否応なく立たざるを得ない。
こっちはゆっくり観終わった後の余韻に浸って、閉まった幕を見、打ち出し太鼓を聞きたいのに。
そして役者の最後の姿を目に焼き付けて、帰りの電車の中でその所作や台詞を反芻したいのに。
役者自身がそれをぶち壊すものなあ。 (>_<)

むじるしそしなさん

2013年09月23日 21:50

今日はとうとう染五郎「だけ」カーテンコールに出たそうですよ。
やりたかったんでしょうね。
初日はカテコに備えて最後にいた人物全員がスタンバイしていたそうですが。
松緑はそれを皮肉ったんでしょう。

それをいうならカテコの習慣を植え付けた他の役者にも非はあると思いますが。
昨日の八千代座、連獅子の後のカテコクレクレ拍手にはげんなりしましたよ…地方の芝居小屋だからといって、連獅子で盛り上がったといって、それはどうなのかと。
もちろん、カテコはありませんでした。当たり前です。止めの柝と打ち出しの太鼓が入ってますから。
あ、誤解のないように申しておきますが、連獅子だからといって親子連獅子を得意としていた家の人達が「八千代座での」カテコ習慣を植え付けたとは思っていません。
彼らとてそこはきちんとわきまえていました。歌舞伎座さよなら公演の4月第一部千穐楽、昨日の八千代座の比ではないクレクレ拍手にも緞帳は上がりませんでしたし。自分達の小屋ではやりたいだけやった感じがありましたが、そういう点は流石だと思います。

おぶちゃんさん

2013年09月23日 21:48

さすが、松緑さん、歌舞伎の家の、歌舞伎を愛してるからこそのご意見。
カーテンコールをおねだりするお客様もいらっしゃいますね。
自分もそうしていることありますから、反省です。

今後、役者が変わっても、上演し続けていける作品を作ってほしいですね。

花道や、口上等はそういう事なんですね。

役者の出入りするときにも拍手が起こっていますが、あれもいかがなものかと思います。

しかし、見事なバチさばきの時には、拍手してしまうのですが。「そこはきくところだよ」という意見もあり、まだまだ歌舞伎を気持ちよく見るには、経験が浅いなあと、反省しきりです。

ありがたいコメントです。

タツロウさん

2013年09月23日 21:14

あつしさん

ご意見に全面的に賛同いたします。誠にご指摘のとおりと思います。
新作だからカーテンコールも良しとする考えは、その新作が将来の古典になりうる可能性も
奪うのではないかと危惧しています。

感動を素直に表出する自由があるのいうのなら、文楽でもオペラでもバレエでも、
本来それがあり得ない場面での拍手や歓声も許されるのか? 否です。
時代とともに変わるものがあることは確かですが、変えるべきでないものも多くあり、
その伝統を軽んじて蔑にすべきではないと思います。

普段と違う客層が歌舞伎座に足を運んでいることを松緑はよく承知しているでしょう。
そのような観客に歌舞伎の伝統を知ってほしいとの思いもこめてのブログではないかと。
これも私の個人的な意見ではあります。

智月さん

2013年09月23日 20:49

陰陽師は先々週に観て来ましたが、客層が普段とは明らかに違いました。
カーテンコールを待って幕が引かれても、席を立たない若い観客と演劇業界の関係者で2階席は溢れておりました。
歌舞伎座で歌舞伎役者が演じるから歌舞伎なのであって、素直な気持ちで観ると、他の劇場での<演劇>に何も違わず、他ならない新作劇でした。
古典とは違うのですし、新作歌舞伎ではカーテンコールも良いのではと思いました