趣味でつながる、仲間ができる、大人世代のSNS、趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)

よくあるご質問

バッハが日本で最初に紹介された曲は?

バッハが日本で最初に紹介された曲は?、ふと疑問に思いました。

またそれを聞いた最初の人は?

非西洋世界で、パイプオルガンの設置数、クラシック音楽のコンサートが日本ほど盛んな国はありません。

明治の初めから、西洋の文物を一早く取り入れる社会体制になったその影響がいまだに続いてるのかなと思います。

http://d.hatena.ne.jp/Gebirgsbach/touch/searchdiary?word=*%5B%C6%FC%CB%DC%A4%C8%A5%D0%A5%C3%A5%CF%A4%CE%B0%EC%C0%A4%B5%AA%C8%BE%5D
2008-03-29
[日本とバッハの一世紀半]第2回・・・

 日本とバッハとの出会いに関して、史資料により裏付けられる最も初期の例は1872年のものです。1871年、日本の新政府は、岩倉具視らを使節団として欧米12カ国へ派遣しました。その様子をまとめたのが久米邦武編纂の『特命全権大使米欧回覧実記』全100巻で、1878年(明治11年)に刊行されています。そこに残っているのが次のような記録。

1872年6月18,19日(明治5年5月13,14日旧暦)、使節団はボストンの「太平楽会」World Peace Jubileeに招待されました。これはアメリカ音楽史上でも名高い国際音楽会で、1872年6月17日から7月4日まで開催されたといいます。

一方、現在ボストン公立図書館と東京の久米美術館とに残る当日のプログラムによれば、6月18日の「英国の日」にはバッハ作曲のコラール<Was mein Gott will, das gscheh allzeit>が演奏されたとのこと。 これはカンタータBWV111の冒頭合唱、もしくは<マタイ受難曲>の第25曲です。

 以上のことから、記録上最も早いバッハと日本人との出会いが確認できます。この出会いに際して『回覧実記』の記者は、バッハの音楽をさして「雲でさえ立ち止まって耳を傾けるほど優れた歌声だ」と記録しています。出会った当初から日本人は、バッハの音楽に魅了されたのです。


2008-04-11
[日本とバッハの一世紀半]第3回

 その後日本は、西洋の文物を積極的に取り入れるようになります。

 西洋音楽の受容の面で重要な出来事は、1879年(明治12年)に音楽取調掛が発足したこと。これは文部省が音楽教育機関として設置したもので、のちの東京音楽学校、現在の東京藝術大学音楽学部です。さて、この音楽取調掛にはバッハの作品を含むいくつかの楽譜が所蔵されていました。1つはバッハの『Compositionen fur Orgel, Band I』、もう1つは複数の作曲家による『Gavotte Album, Second Selection』です。

 また1899年(明治32年)の記録によると、東京音楽学校にはバッハの<Invention>、<Das Wohltemperierte Klavier>、<Englische Suiten>、 <Italienisches Konzert>、<Plaeludium und Fuga>なども所蔵されていたといいます[2]。

 この記録に先立つ1890年(明治23年)には、東京音楽学校の生徒によって、<ミサ曲ロ短調>のクレドの中から<Crucifixus>が演奏されました。来日していたフルート奏者・作曲家のテルシャクが「予想外の好成果」と述べるほど、この演奏は好演だったようです[3]。

 このように日本の音楽教育の現場では、その初期から教材としてバッハが用いられていたことが分かります。

 一方の出版界。1890年(明治23年)10月、前月創刊した『音楽雑誌』にバッハの紹介記事が掲載されました。これは日本における最も早いバッハ紹介記事だといえます。この紹介記事には、ラインケン訪問のエピソードも盛り込まれ、当時としては充実した内容でした。

 この「バッハ紹介」を機に、東京音楽学校における演奏会でも次第にバッハが取り上げられるようになります。幸田延と幸の姉妹による<2台のヴァイオリンのための協奏曲>BWV1043や、島崎赤太郎による<オルガン独奏のための協奏曲>、瀧廉太郎による<イタリア協奏曲>などがプログラムをにぎわせました[4]。

 また、同時期から海外への留学生が次々と生まれています。1889年(明治22年)幸田延は、最初の音楽留学生としてボストンに留学し、翌年にはヴィーンへと移ります。彼女の妹である幸田幸は1900年(明治33年)、ベルリンへと留学しました。1901年(明治34年)には島崎赤太郎と瀧廉太郎がライプツィヒに渡ります。留学生らはヨーロッパ、とくにバッハ・ルネサンスが花開くベルリンやライプツィヒで、少なからぬバッハの伝統に触れたことでしょう。そして当時のドイツの「バッハ熱」を吸収して帰国したに違いありません。・・・

コメント

☆夢っこ☆さん

2013年10月06日 23:26

ルネッサンスの音楽は、天正遣欧少年使節が持ち帰り、1591年3月3日(天正19年閏1月8日) 聚楽第において豊臣秀吉に謁見し、欧州事情を瀝すると共に、持ち帰った楽器を用いて♪ ジョスカン・デ・プレ千々の悲しみ
Josquin des Prez, Mille regretz
http://www.youtube.com/watch?v=GszimTuobSc&feature=player_embedded
こちらを演奏しました。
・・・・・・・・
↑ このことを思い出しました。
http://smcb.jp/_bt01?topic_id=1290176
のコメント7より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
バッハは1685年生まれで江戸時代にあたりますから、ちょうど鎖国しています。、
明治になってからなんですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人とバッハでこんな動画を見つけました。
鈴木雅明氏 日本人初「バッハメダル」
http://www.dailymotion.com/video/xrezmy_%E9%88%B4%E6%9C%A8%E9%9B%85%E6%98%8E%E6%B0%8F-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%88%9D-%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%E3%83%A1%E3%83%80%E3%83%AB_news

バッハ(1685〜1750)が活動したドイツ東部ライプチヒ市は、4月16日、バッハ作品の演奏、普及の功績をたたえる「バッハ・メダル」を、指揮者でオルガン、チェンバロ奏者の鈴木雅明氏(日本キリスト改革派教会員)に贈ると発表した。受賞式は6月8日、ライプチヒ市庁舎で行われる。バッハ・メダルは2003年に創設され、バッハ作品の演奏に貢献した世界的音楽家に授与されてきた。日本人の受賞は初めて。
 鈴木氏は、1990年にオーケストラと合唱団で構成する「バッハ・コレギウム・ジャパン(BJC)」を創設。バッハの宗教作品を中心にバロック音楽の理想的な上演を目指し活動している。受賞式当日は、鈴木氏率いるBJCが「ライプチヒ・バッハ音楽祭」で、バッハゆかりの聖トマス教会でマタイ受難曲を演奏することになっている(2012.5.5キリスト新聞者)