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よくあるご質問

中世・ルネサンス音楽140ー初期フランドル楽派(ブルゴーニュ楽派)3デュファイ

ブルゴーニュ楽派:
 15世紀に、ブルゴーニュ公国の宮廷およびその周辺で活躍した音楽家たちの総称。14世紀の後半に生まれ、15世紀の中葉過ぎまで存在したバロア系ブルゴーニュ公国は、15世紀のフィリップ2世の治世下(1419~67)に最盛期を迎え、政治的にも文化的にも当時のヨーロッパの中心的な勢力となったが、その宮廷ではバンショワをはじめとする優れた作曲家が活躍し、宮廷風の愛を歌った多声シャンソンや典礼音楽を展開していった。ブルゴーニュの宮廷音楽は、その周辺の地域、たとえばフランスの宮廷、サボア公国の宮廷、北イタリア諸都市、それに司教都市カンブレの音楽に大きな影響を与え、そうした周辺の地域で活躍したデュファイなども、ブルゴーニュの宮廷音楽の影響を受けた音楽を書いていった。

French Renaissance music - Guillaume Dufay (XV th century) vol.1 https://www.youtube.com/watch?v=hzv-x5sln5g

Guillaume Dufay. O Gemma Lux. Motetes Isorrítmicos https://www.youtube.com/watch?v=JTIlHSouJYU

Complete Secular Music CD 1/5. Guillaume Dufay (c.1397 - 1474) https://www.youtube.com/watch?v=Tf4lAbpxU8M

 ギヨーム・デュファイ(またはデュフェ、Guillaume du Fay、1397年8月5日 - 1474年11月27日)はルネサンス期のブルゴーニュ楽派の音楽家である。「ギヨーム・デュ・ファイ」(またはデュ・フェ、Guillaume Du Fay、Du Fayt) とも表記される。音楽の形式および精神の点で、中世西洋音楽からルネサンス音楽への転換を行なった音楽史上の巨匠である。
日本では通常「デュファイ」と呼ばれる。

 最近の説では、ブリュッセル近郊のベーアセル(Beersel)で1397年8月5日に生まれたと考えられている。1409年から1412年まで、少年合唱隊で教育を受け、才能を認められる。1414年、カンブレー近郊のSt.Géry(サンジェリー)教会で働きはじめる。1414年から18年までコンスタンツ公会議に同行し、1418年にカンブレに戻り副助祭となる。同年、イタリアのリミニ宮廷に移り本格的な作曲を始める。1424年に、カンブレに戻り、ラン大聖堂で副助祭であったと考えられている。1426年、イタリアのボローニャに移動し、1428年には司祭となる。その後、1433年までローマで教皇庁の歌手となる。1433年、サヴォワに移動し、ブルゴーニュ公やジル・バンショワと会う。1435年に再び教皇庁の歌手になるが、1436年サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ大聖堂)の献堂式のために「ばらの花が先頃」という曲を作っている。1437年に再びサヴォワに移動し、ブルゴーニュ公に仕え、その後、サヴォアとカンブレの間を行き来する。

 1459年、カンブレに戻り、オケゲム、ビュノワと親交を持つほか、ジョスカン・デ・プレらとも接触したと考えられる。1474年11月27日没。

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