ピエトロ・アントニオ・フィオッコ

  ピエトロ・アントニオ・フィオッコ(Pietro Antonio Fiocco, 1654年2月3日 - 1714年9月3日[1])は、イタリア出身の盛期バロック音楽の作曲家。より高名なジョゼフ=エクトル・フィオッコは実子である。後半生にフランス語圏に移ったため、ピエール=アントワーヌ (Pierre-Antoine) というフランス語名も残している。

 ヴェネツィア出身。幼年期やイタリアで受けた音楽教育については、何も分かっていないが、音楽家として名を揚げ、オランダ総督によってアムステルダムに招かれる。エレナ・ラピタ・ダ・パリデ(Helena Ra