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よくあるご質問

日本の古代史に関わる珍説

前回に引き続き、今回も古代史に関わる珍説をご紹介したいと思います。
今回の説は前回よりも若干スケールダウンし、『トンデモ説』と呼んで良いかどうか微妙なので、『トンデモ説』とは呼ばずに便宜上『珍説』と呼ぶことといたします。
私が知っている珍説の中から、今回は以下の二つをご紹介いたします。


①.卑弥呼は公孫氏だった。
これは山形明郷という在野の古代史家・比較文献史家の説です。
この人は、楽浪郡・帯方郡は満州にあり、韓(朝鮮)は遼東半島にあったと主張しました。そして、倭は朝鮮半島の大部分を支配していたと主張しました。邪馬台国も朝鮮半島にあったことになります。魏志倭人伝の記述の大部分は無視していますが、魏志倭人伝に書かれた邪馬台国と卑弥呼に関しては、その存在を信じているようで、明らかに矛盾した考えを持っています。魏志倭人伝を無視するなら、邪馬台国や卑弥呼も無視して欲しいところです。
肝心の「卑弥呼は公孫氏だった」ですが、これは『晉書 四夷傳 倭人の条』の以下の文章を根拠としています。

漢末、倭人亂、攻伐不定。乃立女子爲王。名曰卑彌呼、宣帝之平公孫氏也。
「漢末に倭人は乱れ戦いあって安定しなかったので、女子を立てて王にした。名は卑彌呼といい、宣帝(司馬懿)が平らげたところの公孫氏である。」

確かにこう書かれると、卑弥呼は公孫氏と書いてあると思ってしまうかもしれません。しかし、この部分全体の文章は以下のようになっています。

漢末、倭人亂、攻伐不定。乃立女子爲王、名曰卑彌呼。宣帝之平公孫氏也、其女王遣使至帶方朝見、其後貢聘不絶。
「漢末に倭人は乱れ戦いあって安定しなかったので、卑彌呼という名の女子を立てて王にした。宣帝(司馬懿)が公孫氏を平げると、その(倭の)女王は帶方郡に使を遣して朝見し、その後も朝貢することは絶えなかった。」

いかがでしょうか。私は、これは意図的に文章を間違った個所で区切って誤読を誘導する悪質な手口だと思います。山形明郷はさまざまな漢籍から朝鮮=遼東半島説を打ち出しており、そのような研究者が、こんな単純な誤読をするはずがありません。もしも、本当にこの読み方が正しいと考えているのであれば、こんな単純な誤読をするような、まともに漢文を読めない人が、中国の文献を根拠とした古代史に関わる新説など主張してはいけません。
山形明郷という人は故人ですが、このような内容の本を生前に数冊上梓し、一定の支持者もいるようです。


②.倭は、南倭と北倭の二つがあった。
釈日本紀に「倭國の中に南倭と北倭があり、現在の王朝はこの北倭の系譜をひくものであり、南倭は女王國である」という内容の記述があるようです。しかし同時に、以下の文章があります。

釈日本紀 解題
「問、倭國之中有南北二倭。其意如何?」
「答、師説。延喜説云、北倭可爲此國。南倭女國云々。此説已無證據。」

ご覧の通り、『此説已無證據』つまり、この説は証拠が無いと書いてあります。
思うにこの説は、中国の古文献『山海経』の文章、「蓋國在鉅燕南倭北倭屬燕」(蓋國は鉅燕の南、倭の北に在り。倭は燕に屬す。)を、「蓋國は鉅燕に在り。南倭・北倭は燕に屬す。」と誤読したことから、発生したのだと思います。
私が知っている限りでは、この説を主張しているのはアマチュアの歴史愛好家です。一人ではなく複数いるところを見ると、多少の賛同者がいるようです。


以上です。
故意かそうでないかは別として、いずれも漢文の誤読によって発生した珍説と言えます。
このことは、日本の古代史を調べるうえで、古代中国の文献がいかに大きな比重を占めるか、ということを意味していると言えます。
ここで挙げたのはいずれもアマチュアの研究者の珍説ですが、プロの学者や研究者でも、似たような漢文の誤読が散見されます。私は、日本の古代史を研究する人は、併せて漢文を勉強する必要があると考えています。

コメント

花嵐さん

2021年05月23日 19:32

SIRIUS2016さん、ありがとうございます。とりあえずウエキペディアを読ませていただきました。10数年間、気がつかないうちに巨大な認識の変化が起こっていたのですね。素晴らしいです。
かっては、「弥生時代の稲作は、あっという間に青森まで伝播した」などの説明に、えっ、えっ、、、、などと疑問にも思っていたのですが、少し納得です。
これからも認識の発展は続くと思いますので、注視していきたいと思います。
ありがとうございました。

SIRIUS2016さん

2021年05月23日 08:36

花嵐さん、
弥生時代の年代論に変化があったのは、2003年5月の日本考古学協会第69回総会における、弥生時代は従来より500年早く始まっていたという発表からで、この発表は学会だけでなく日本の社会にも大きな反響を起こしました。
弥生時代の年代論につきましては、Wikipediaにも概要が書かれていて、理解するにはこれでも十分ではないかと思われます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3
もっと詳しく知りたい場合は、少々難易度が上がりますが、総研大(国立大学法人 総合研究大学院大学)の下記URLのレポートをお読み下さい。
http://www.initiative.soken.ac.jp/journal_bunka/050509_fujio/thesis_fujio.pdf

花嵐さん

2021年05月22日 14:47

SIRIUS2016さん、初めまして。
私はもう15年も前になりますが、定年前後に古代史に興味を持ち、素人ながら本を色々と読み漁ったことがありました。あえて文献とは言いませんが。
その後はほとんどお留守をしていた時代が続きました。
最近ここやフェースブックなどで、お友だちなどの投稿を読む機会が増えました。それでこの10年あまりの大きな変化に驚いています。
一番大きいのは、弥生時代の出発が約750年も遡ったことです。これには驚きましたが、これの根拠が分かりやすく書かれた本がないでしょうか?
もうひとつは、邪馬台国の場所や時代の諸説が、もう理解しがたいほど広がったことです。素人の私などにはもうどう理解したらいいのかわかりません。
初期から、古代史って言い得なんだな?⁉️なんて考えたりしていました。
このような幼稚な質問を発していいものか?とりあえずコメントさせていただきます。

pootaさん

2021年05月22日 14:01

日本は儒教に大きく影響を受けましたが、そのあとに伝わった仏教の影響もまた大きく受けました。
しかし、生活の規範は基本的に仏教よりも儒教の方から影響を受けていると思います。
西欧では生活の規範はキリスト教という宗教によって取りまとめられました。
日本の歴史を探求するためには、中国の歴史を知る必要があると思い、史記などを齧りましたが、何しろ膨大で、消化不良のままとなっています。
山海経などに書かれている当時の中国が認識していた四夷の状況など、現代から見れば荒唐無稽に見えますが、それなりに要点をとらえたものとして興味を惹きます。
ご解説を大いに期待するところです。

SIRIUS2016さん

2021年05月22日 12:41

信長たろうさん、
『山海経』はBC4世紀からAD3世紀頃にかけて、徐々に加筆されて成立したものと言われています。
この「蓋國在鉅燕南倭北倭屬燕」という部分が書かれたのは、清代に郝懿行が山海経を注釈した『山海経箋疏』によると、「經云倭屬燕者蓋周初事與(経の云う倭属燕は蓋し周初の事か)」とあります。この記述を信じれば、この山海経のこの記事はBC10世紀頃のことになりますが、これは日本列島では縄文時代と弥生時代の狭間になります。これほど古い時代に倭というクニがあったとは考えられません。

中国の古文献に初めて『倭』が現れるのは、1世紀頃に王充が書いた『論衡』です。論衡の恢国篇第五八に「成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯(成王(在位:紀元前1,022年~紀元前1,002年)の時、越裳は雉を献じ、倭人は暢草を貢ず)」とあります。
こちらもBC11世紀のことであり、日本列島ではまだ縄文時代晩期で、とても倭国が存在していたとは考えられません。
あまり話題に上ることがありませんが、漢書 王莽伝に「東夷王度大海奉國珍(東夷の王は大海を渡りて国珍を奉ず)」という記事があります。これは『東夷王』『大海度』とあることから、日本列島にいた倭人の王のことと思われます。
私は、山海経・論衡・漢書王莽伝の倭についての記事につきまして、考えていることがあります。内容がまとまりましたら、いずれこちらに話題を作成したいと考えています。

SIRIUS2016さん

2021年05月22日 12:40

ゆりこさん、信長たろうさん、やすさん、pootaさん、
返信のコメントありがとうございます。
特にゆりこさんからコメントをいただくのは、初めてではないかと思います。
一言でもこのようなコメントをいただけると、とても励みになります。

pootaさん

2021年05月22日 11:47

山形明郷氏の説はWEBで見たことがあります。こんな見方をする人もあるんだと思いました。
邪馬台国に関する書物は、関心を持った当初、何十冊も見ました。どれも単なる思い付きで書かれていたか、原書の誤読・誤解によるもののようでした。
但し、これも私が倭人伝の記事や日本書紀などで自分の中に構築された歴史像による解釈であって、SIRIUSUさん(省略していることをおゆるしください)のように、明確に誤りの根拠を見つけたわけではありません。
その点、SIRIUSUさんの方法は完ぺきで素晴らしいと感服します。
研究史を読むと、古来の学者も一部のことにとらわれて、或いは、現代のような地理誌ではない倭人伝を直接的に読み取って、総合的には判断していない(九州説では特に)ように感じました。

やすさん

2021年05月22日 11:31

初心者の私には、はじめてしることばかりです。
ところで「私は、これは意図的に文章を間違った個所で区切って誤読を誘導する悪質な手口だと思います。」ですが、現代でも、朝日・毎日・東京新聞その系列やNHK
などの地デジテレビ、共産党などが得意とする手口ですね。

やすさん

2021年05月22日 11:31

初心者の私には、はじめてしることばかりです。
ところで「私は、これは意図的に文章を間違った個所で区切って誤読を誘導する悪質な手口だと思います。」ですが、現代でも、朝日・毎日・東京新聞その系列やNHK
などの地デジテレビ、共産党などが得意とする手口ですね。

信長たろうさん

2021年05月22日 11:23

おはようございます。
いつもながら、詳しく論理的に書かれており、また流ちょうな文章に驚かされます。

文章上の解釈の違いでの内容に関して、ウイキペディアによれば、「公孫氏の領土は朝鮮半島中西部の帯方郡を境に、南は韓と接し、東北は高句麗、 西北は烏丸・鮮卑と接するなど、異国・異民族との関わりが深かった。」となっており、公孫氏を滅ぼして、帯方郡を設置したことによって、倭国(卑弥呼)が朝見するようになったという流れで、よく理解できます。(最近でも、話の流れではそれほどひどい言葉ではないのに、切り取り報道でクローズUPされ糾弾されますが、ちょっと似ている感じで、質が悪いと思いました。)

後半の『「問、倭國之中有南北二倭。其意如何?」
「答、師説。延喜説云、北倭可爲此國。南倭女國云々。此説已無證據。」』の話は、私も根拠が弱いのですが、本当にあった話ではないかと思っています。(なぜなら、方墳文化(=もともと北朝鮮あたりの文化らしい)の出雲王朝が北朝鮮側から来たという話につながります。)

この場に相応しい、素晴らしご投稿を拝見できてうれしい限りです。
 

ゆりこさん

2021年05月22日 11:00

いつもいろいろと教えていただきありがとうございます。
私も、学術的な文献や論文などを自分で読み、きちんと知識を身につけ自分の頭でしっかり考えること、また、漢文も自分で読んでみることもとても大切だと思っています。