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よくあるご質問

「イスラエルの失われた10支族」聖書と歴史的事実は?

前トピでの質問から
「.失われた十二支族の末裔」についてですが「失われた10支族」と言ったり、逆に「ユダヤ人は日本人の末裔」という人もいます。説明するまでもなく論外な話は省いて、よくでてくるのが「失われた10支族」です。

これは聖書を引用したストーリーで、都合のいいように歪曲しています。それを聖書を読んだことのないような人達が信じていますので、聖書で説明します。旧約聖書を研究されてるそうですから、私に間違いがあったらご指摘お願いします。

創世記を読むとヤコブには12人の子供がいた。
1.ルベン
2.シメオン
3.レビ
4.ユダ
5.ダン
6.ナフタリ
7.ガド
8.アシェル
9.イッサカル
10.ゼブルン
11.ヨセフ
      ・マナセ
      ・エフライム
12.ベニヤミン

ところがヨセフが行方不明になり、代わりにヨセフの子供マナセとナフタリに土地を与え13支族になった。その中のレビは司祭職だったので土地を与えなかった。土地を所有するルベン族、シメオン族、ユダ族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、ベニヤミン族、エフライム族、マナセ族を12支族という。

イスラエル王国はソロモン王(紀元前965年?‐紀元前930年?)の死後、北のイスラエル王国(10支族)と南のユダ王国(ユダ族、ベニヤミン族)に分断される。

■北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされ、10支族の指導者層は虜囚としてアッシリアに連行された(アッシリア捕囚)。サルゴン王の碑文によると虜囚の数は*2万7290人で、北王国の全人口の約20分の1程度と推定されている。
*wikipedia.org/wiki/アッシリア捕囚

この捕虜となり連行された10支族を「イスラエルの失われた10支族」とする説がある。しかし連行されたのは一部の住民で捕虜とならず北王国に留まった10支族の方が多かった。

捕囚とならなかった住民は、統制を失って他の周辺諸民族の中に埋没し、次第に10支族としてのアイデンティティを失った。ユダヤ教と一部の祭祀を同じくする古来の信仰が残存し、サマリア人としてユダヤ人と異なる文化とアイデンティティーを保ち続け、現在に至っている。

サマリア人を異教徒扱いにするかユダヤ人に準ずるかで意見が分かれ、新約聖書にはしばしば登場する。イエスの福音を受け入れたものも多く、イエスも彼等を迫害の対象とはせず、「*隣人」として受け入れていた。
*新約聖書中のルカによる福音書10章25節から37節

新約聖書中のサマリア人が10支族であり、その中の連行された捕虜もアッシリア→バビロン→ペルシャと中東の勢力図が変わり帰還を許され、破壊されたエルサレム神殿を復興している。

◎「イスラエルの失われた10支族」は聖書の都合のいい一部だけ引用し、ペルシアにより虜囚は解放されイスラエルに帰還したことをなかったことにしている。

■南のユダ王国は、紀元前586年に新バビロニアに滅ぼされ、指導者層はバビロンなどへ連行され虜囚となった(*バビロン捕囚)。新バビロニアはアケメネス朝ペルシアによって滅ぼされ、虜囚は解放されイスラエルに帰還し、エルサレム神殿を復興した。
*wiki/バビロン捕囚

◎北王国も南王国も滅ぼされが、捕囚はアケメネス朝ペルシアにより解放され帰還している。

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さらに詳しく知りたい方は下記のコメントをお読み下さい。

コメント

水辺の少年さん

2021年05月24日 00:48

ランマルさん、
「キリストの墓」発見以前に、竹内巨麿が竹内文書を発表、このときはありふれた古史古伝だったそうです。その後「キリストの墓」発見後大幅に修正・加筆された。おそらくアメリカ帰りの宣教師・酒井勝軍がストーリーを考えたのでしょう。その後、竹内巨麿は北茨城に皇祖皇太神宮「天津教」を作り開祖となりました。神道系とかキリスト教・新興宗教の一部が今でも竹内文書を採用、さらに戦争前軍人指導層の東条英機などがここをお参りしています。国粋主義の後押ししたんですね。

ナニャドヤラは数日中にアップします。
天候が回復し土が乾いてきたので、明日からサツマイモの苗植え、モロヘイヤ種蒔き、電線を超えた木の伐採、日曜大工を本格的梅雨が来る前に終わらせます。

ロックバンドはモテるんですよね🥰
私は田舎者のイモ兄ちゃん、じゃなくイモ爺、このギャップ🤣

ランマルさん

2021年05月23日 20:18

水辺の少年さん、
青森県のキリストの墓以下読まさせていただきました。
 竹内文書は、ここと関係があったのですね。
 秋田玉川温泉で八戸から来てた湯治仲間が歌ってくれたヘブライ語の歌はここからですね。
 ナァナャドラ、又トピにあげてください。

 昔ロックバンドもやってたので
オリジナル曲のバンド演奏もYoutubeにUPしましたが、知らない曲
しかも下手な演奏を聴かされる人
たまったものではないので、そのうちにします。笑う。

ランマルさん

2021年05月23日 19:59

水辺の少年さん、
メダイ、トンデモありませんよ。
女性のみです。
女は良かった。笑う。
経験による、解釈ありがとうございました。
なるほどです。

水辺の少年さん

2021年05月23日 19:58

ランマルさん、
>神代文字とか色々とあるのですから、何処かに残ってるはずですね。

それがあるんですよ!
キリストが青森へ渡来し、自身で彫刻した「イスキリ文字」、それに自画像、さらにモーゼの骨まで、見たいですか?
今回大サービス!
お金いりません💰
https://smcb.jp/diaries/8482672

>聴かせていただいた音楽は、拙い私の耳には、シャンソン風に聞こえました。

何を言ってるんですか謙遜して、好みに合わなかったんですね。私はイスラエル、東ヨーロッパ、ロシア、イタリアの歌が好きです。ジプシーとかケルト音楽もいいですね。シンガーソング・ライターのランマルさん、歌聴かせて下さい。youtube紹介お願いします。

ナニャドヤラはヘブライ語との主張がネットでは反乱しています。次のトピは「ナニャドヤラ」にしましょうか?

水辺の少年さん

2021年05月23日 19:36

ランマルさん、
旧約聖書(創世記9章)の時代に輸血などないので、エホバの証人の輸血禁止は?です。生肉は食べてならない、無駄な殺戮で血を流してはならない、と私は解釈しています。古代の冷蔵庫もない不衛生な時代に、生肉は危険だから戒めにしたのでは?
ユダヤ教には「コシェル」という食事規定があります。レビ記→タルムード→ハラーハーと時代の経過に伴い食事規定が具体化しますね。

同性愛はもちろんダメでしょう、自称リベラルに押されカトリックもドンドン妥協、さらに大問題はカトリック内の性スキャンダル、現在のローマ法王は危険です。その主流と戦ってる少数派がカトリック内にいます。ランマルさんは同性愛歓迎ですか。

ランマルさん

2021年05月23日 13:03

水辺の少年さん、
追記です。
聖書の解釈は、色々ですね。 
例えば、神とノアの契約で神が、
4しかし、肉はその命である血のあるままで食べてはならない。
 エホバの証人では、それで輸血を禁止、ハーベスト教会では、輸血とは違う、食べる事つまり胃の中に入れる事だと説いてます。
 同性愛も禁止してますが、最近カソリック教会では認める風潮ありますね。

ランマルさん

2021年05月23日 12:01

水辺の少年さん、
なるほど、そうですね。
ヘブル文字を使うでしょうね。
神代文字とか色々とあるのですから、何処かに残ってるはずですね。
 青森県のキリストの墓に欲しかったですね。笑う。
 ナニャドラ、と言う民間の歌詞ヘブライ語とか。
 聴かせていただいた音楽は、拙い私の耳には、シャンソン風に聞こえました。
 

水辺の少年さん

2021年05月23日 11:08

ランマルさん、
信仰してないので私の聖書解釈はクリスチャンの皆様とは違う点が多々あるでしょう。違うところを比べるのも勉強になります。

>ノアの箱舟から出てノア達家族はが向かった先は、今のトルコ辺りつまり、エデンの園があった場所

エデンの園がどこかの議論は、高天原がどこかのようで意見が分かれるでしょう。私は現実世界でない(竜宮城・笑い)プラトンのイデアに近い考えです。

元々住んでいた所が、現在のトルコ東南部付近のクルド人が住んでるあたりで、最も古い宗教と言われる拝火教もその辺が起源と推測します。

タイ語習得はさぞお役にたったでしょう。
スワイ ラ クン

約20万(現在1500万人)のユダヤ人が渡来?それなら何故DNAでは0%なのか?日本に文字がない時代に渡来したなら、ヘブル文字を使わないわけがない?

ヘブライ語と日本語は文法も単語も発音も類似性感じないどころか英語より難しく断念しました。日本人で巻き舌を使える人はほとんどいません、Rだけは上手くできました。
ヘブライ語の歌です↓
https://youtu.be/1KUqv_RvnEI
https://youtu.be/JH8gtdDA5x0
https://youtu.be/d2evf_BwACs
https://youtu.be/XYYo00JbCks

ランマルさん

2021年05月23日 08:18

水辺の少年さん、
 大変な労作ですね。
 一部だけコメントします。
ノアの箱舟から出てノア達家族は
が向かった先は、今のトルコ辺り
つまり、エデンの園があった場所と、牧師さんの話しがありました。
 次に言葉です。
 ヘブライ語英語と同じ文法なら、日ユ同祖論の方たちが言われてるヘブライ語と日本語の関係あやしくなりますね。
 余談ですが、私がバンコク滞在中にタイ語学校に言ってました。
 タイ語を英語で習う学校です。   日本語で習うと授業料倍でしたので、金額的に無理がないので、四国から来てる人も習ってました。 
 一向に上達しません。会話になりません。な〜る程、前置詞の意味が理解出来ない。つまり文法が違うからでした。
 宇野正美氏の話しによると、約20万のユダヤの人々が日本に来たとの事です。その末裔の日本人は現在1500万人との事です。
 せめて、会話の文法だけでも残って欲しかったです。

水辺の少年さん

2021年05月22日 22:49

ランマルさん、
>こうなったら、人類皆兄弟。

聖書とは関係ない話になりますが、DNAのどこかで書いたように、私たちの母の祖先をそのまた母という風に約20万年遡ると、アフリカの一人の女性イブに、父のまた父のと遡ると一人のアダムに辿り着くそうです。20万年前まで遡れば人類みな兄弟です。

ユダヤ人を遡るとアブラハムはチグリス川とユーフラテス川の流域ウルの町出身です。その前の神話ノアの箱舟にはアララト山が出てくることから、ウル以前はアララト山付近のトルコあたりに住んでいたのでは想像していました。

それから40年くらい経ち世界史を変える大発見がありました。ギョベクリ・テペという紀元前1万年から紀元前8000年に建てられた遺跡が発見されました。日本では縄文時代早期頃です。
https://youtu.be/pSDzJol9vnI

水辺の少年さん

2021年05月22日 17:39

ランマルさん、
日本語とヘブライ語はまったく似ていません。第一文法が違い、英語やヨーロッパの言語に近いので、英語でヘブライ語を勉強した方が理解しやすいんです。

その他の返信はまとめると混乱するので、まず「○○同祖論」だけ、

おっしゃるように、「○○同祖論」は世界中に、海外では昔からありました。イギリスで「英ユ同祖論」が大流行し、下火になった幕末頃、スコットランド人のノーマンマクラウドという商社マンが来日し、風貌の違うアイヌ人を見て「失われた10支族」の子孫と結びつけ、『日本古代史の縮図』 長崎日の出書房、1878年を出版。マクラウドはなんでも失われた10支族と結びつけるいい加減な人物で「韓ユ同祖論」の提唱者でもある。

「エチオピア同祖論」は事実と思います。「失われた聖櫃」がエチオピアにあるという説もあります。

「ネイティブインディアン同祖論」はモルモン教の聖典にエルサレムから逃れたユダヤ人が、船でアメリカ大陸へ渡ったその末裔がネイティブアメリカンと書かれてます、詳しい内容は忘れました。

「ユダヤ、アラブ同祖論」は(創世記25・8-18 )
アブラハム→イサク→ヤコブ。ここで書いたヤコブの子供12人がユダヤ人の先祖です。
アブラハムの妾の子供→イサクの異母兄弟「イシュマエル」の子孫がアラブ人とイスラム教では言ってます。

ネイティブアメリカンとアラブ人については私は?です。

ランマルさん

2021年05月22日 17:23

追記です。旧約聖書でアラブ人の先祖イシュマエルは、アブラハムが彼の妻のエジプト人奴隷女に産ませた子供ですから、ユダヤ、アラブ同祖論はわからない事もないですが、ヘブライ語と日本語が似てるのが3000語とか?
 貴方はイスラエル滞在1年していますが、日本語と似てると感じる事ありましたか?

ランマルさん

2021年05月22日 14:09

水辺の少年さん、
私が一番興味があるのは、日ユ同祖論ですが、調べると、英ユ同祖論、韓ユ同祖論、エチオピア同祖論、ネイティブインディアン同祖論、ユダヤ、アラブ同祖論、等等
沢山あります。
こうなったら、人類皆兄弟。
確かに旧約聖書では、ノアの箱舟で生き残った子供達が人類の祖先となりますから。笑う。
 日ユ同祖論等では、言語が似てる、神輿は契約の箱とかありますが、では何故割礼が我々日本人にないのか不思議です。
 割礼は、アブラハムの子イサクからは、ユダヤ人男子は避けて通れない儀式ですが。
 とは言え、日ユ同祖論の信者さんは、SNSの普及で増えるばかりですね。
 労作お疲れ様でした。

水辺の少年さん

2021年05月22日 13:19

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さらに詳しく知りたい方は下記をお読み下さい。

さらに北のイスラエル王国が紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされる以前に、ヤラベアム王に不満の祭司とレビ及び10部族の中の伝統的信仰を大事にする人々も同行した。(参考1)

参考1:歴代誌下 11ー13∼16
13イスラエルの全地の祭司とレビびとは四方の境から来てレハベアムに身を寄せた。 14すなわちレビびとは自分の放牧地と領地を離れてユダとエルサレムに来た。これはヤラベアムとその子らが彼らを排斥して、主の前に祭司の務をさせなかったためである。 15ヤラベアムは高き所と、みだらな神と、自分で造った子牛のために自分の祭司を立てた。 16またイスラエルのすべての部族のうちで、すべてその心を傾けて、イスラエルの神、主を求める者は先祖の神、主に犠牲をささげるために、レビびとに従ってエルサレムに来た。

歴代誌下 15ー 9~15
9彼はまたユダとベニヤミンの人々およびエフライム、マナセ、シメオンから来て、彼らの間に寄留していた者を集めた。その神、主がアサと共におられるのを見て、イスラエルからアサのもとに下った者が多くあったからである。 10彼らはアサの治世の十五年の三月にエルサレムに集まり、 11携えてきたぶんどり物のうちから牛七百頭、羊七千頭をその日主にささげた。 12そして彼らは契約を結び、心をつくし、精神をつくして先祖の神、主を求めることと、 13すべてイスラエルの神、主を求めない者は老幼男女の別なく殺さるべきことを約した。 14そして彼らは大声をあげて叫び、ラッパを吹き、角笛を鳴らして、主に誓いを立てた。 15ユダは皆その誓いを喜んだ。彼らは心をつくして誓いを立て、精神をつくして主を求めたので、主は彼らに会い、四方で彼らに安息を賜わった。

◎北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされ、南王国へも攻撃が始まっていた。

・ヒゼキヤ(紀元前740年頃 - 紀元前687年)は、紀元前700年頃のユダ王国の王。
ヒゼキヤの治世において特筆すべきなのは、地下水路の開発である。ユダ王国は四方を山に囲まれており、防御は非常に堅かったが、兵糧攻めや断水といった手段をとられると弱かった。このため、ヒゼキヤは広大な地下水路を開削させ、恒常的な飲料水の確保に成功する。この水路は現在も残っており、「ヒゼキヤの泉」と呼ばれる。泉には当時の碑文「シロアム碑文」も残されている。

歴代誌下 30-6∼26
6そこで飛脚たちは、王とそのつかさたちから受けた手紙をもって、イスラエルとユダをあまねく行き巡り、王の命を伝えて言った、「イスラエルの人々よ、あなたがたはアブラハム、イサク、イスラエルの神、主に立ち返りなさい。そうすれば主は、アッスリヤの王たちの手からのがれた残りのあなたがたに、帰られるでしょう。 7あなたがたの父たちおよび兄弟たちのようになってはならない。彼らはその先祖たちの神、主にむかって罪を犯したので、あなたがたの見るように主は彼らを滅びに渡されたのです。 8あなたがたの父たちのように強情にならないで、主に帰服し、主がとこしえに聖別された聖所に入り、あなたがたの神、主に仕えなさい。そうすれば、その激しい怒りがあなたがたを離れるでしょう。 9もしあなたがたが主に立ち返るならば、あなたがたの兄弟および子供は、これを捕えていった者の前にあわれみを得て、この国に帰ることができるでしょう。あなたがたの神、主は恵みあり、あわれみある方であられるゆえ、あなたがたが彼に立ち返るならば、顔をあなたがたにそむけられることはありません」。
10このように飛脚たちは、エフライムとマナセの国にはいって、町から町に行き巡り、ついに、ゼブルンまで行ったが、人々はこれをあざけり笑った。 11ただしアセル、マナセ、ゼブルンのうちには身を低くして、エルサレムにきた人々もあった。 12またユダにおいては神の手が人々に一つ心を与えて、王とつかさたちが主の言葉によって命じたことを行わせた。・・・・

25ユダの全会衆および祭司、レビびと、ならびにイスラエルからきた全会衆、およびイスラエルの地からきた他国人と、ユダに住む他国人は皆喜んだ。 26このようにエルサレムに大いなる喜びがあった。イスラエルの王ダビデの子ソロモンの時からこのかた、このような事はエルサレムになかった。

◎中東の勢力、アッシリア→バビロン→ペルシャ
・ダレイオス1世(アケメネス朝のペルシャの王、紀元前550年頃 - 紀元前486年)は、(在位:紀元前522年 - 紀元前486年)
西はエジプト、トラキア地方から東はインダス川流域に至る広大な領土を統治した。彼は自らの出自、即位の経緯、そして各地の反乱の鎮圧などの業績をベヒストゥン碑文として知られる碑文に複数の言語で記録させており、今日にもその遺跡が残されている、ペルセポリスの建設を開始した王でもある。

エズラ記6-3~
「記録。 3クロス王の元年にクロス王は命を下した、『エルサレムにある神の宮については、犠牲をささげ、燔祭を供える所の宮を建て、その宮の高さを六十キュビトにし、その幅を六十キュビトにせよ。 4大いなる石の層を三段にし、木の層を一段にせよ。その費用は王の家から与えられる。 5またネブカデネザルが、エルサレムの宮からバビロンに移した神の宮の金銀の器物は、これをかえして、エルサレムにある宮のもとの所に持って行き、これを神の宮に納めよ』」。・・・・

13ダリヨス王がこう言い送ったので、川向こうの州の知事タテナイおよびセタル・ボズナイとその同僚たちは心してこれを行った。 14そしてユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイおよびイドの子ゼカリヤの預言によって建て、これをなし遂げた。彼らはイスラエルの神の命令により、またクロス、ダリヨスおよびペルシャ王アルタシャスタの命によって、これを建て終った。 15この宮はダリヨス王の治世の六年アダルの月の三日に完成した。・・・・

16そこでイスラエルの人々、祭司たち、レビびとおよびその他の捕囚から帰った人々は、喜んで神のこの宮の奉献式を行った。 17すなわち神のこの宮の奉献式において、雄牛一百頭、雄羊二百頭、小羊四百頭をささげ、またイスラエルの部族の数にしたがって、雄やぎ十二頭をささげて、すべてのイスラエルびとのための罪祭とした。

●イスラエルの部族の数にしたがって、雄やぎ十二頭をささげたということは12支族がそろっているということで、10支族は失われていなかったのです。