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よくあるご質問

敗戦のあと、FENから流れてきたjazzにインパクトを浴び、人生が違ってしまった気がします。

敗戦から10年、プレイヤーではありませんでしたが、気が付いたときにはジャズのなかで生活していて、あの時代は米軍キャンプに始まりジャズどっぷりの日本国、数えきれないほどのミュ一ジシャンやシンガー達との中での毎日の生活、アメリカからフランク・シナトラ、サミ一デイビスJR、ジュリ一ロンドン、サツチモ、サムテ一ラ一そしてア一トブレ一キ一とジャズメッセンジャ一ズと我がビツグフォ一とのセッション会場、クラブコスモポリタンに居たのもその流れでしたねネ。マンハッタンに住んだ頃はジャスラウンジのハシゴの日々だったのは三菱がロックフェラ一を買い取って、アメリカ中がブ一イングの頃、とりとめがつきません !! 時間とコニャックが少しあれば---、ジャズに繋がる話が沢山出てくるのです。才津 大 拝

コメント

ふるーとさん

2013年08月15日 18:49

貴重な情報、ありがとうございます。
こういう話を聴ける方は、そうざらにいませんので、
スマイリーさんなんて、懐かしい名前ですね。新宿の女王蜂でも演奏していた?
また、訪問させて頂きます。

ダイちゃんさん

2013年08月15日 13:48

ふる一とさん、コメント有難うございます。
ジャズメッセンジャ一ズは大分遅れて'60(昭和35年)春だったでしょうか !?
神彰=じんあきら氏(紀の川の作者佐多稲子女史のご主人)の招聘、初来日コンサートでしたが、その前夜の狸穴コスモポリタンでのセッションだったのでしたが、聞き付けた東京中のミュ一ジシャン達でリッスイの余地なし。
ビッグフォ一は、その頃多分渡邉ヒロシとスターダスターズのアルタネ一トで、コパカヴァ一ナだったと記憶していますが、しかし神さんは後にソニーロリンズを招聘したものの、麻薬が原因の入国拒否で着いた横浜港から上陸できず、プロダクションを倒産させちゃい---
、そのずっと後に例の居酒屋北の家族を立ち上げて、チェーン展開して相当儲けていたのでした。
あの頃の事は、現在のように情報環境が発達していないので、現場にいてツブサニ様子を見聞きした者にしか本当の状況は説明できないのでしょうネ。
そう言えば座間のキャンプから横浜ブルースカイへ異動したスマイリ一小原とも一年間ほどでしたが、毎日顔を付き合わせていた頃もありましたっけ---、
アレコレお伝えしたい事が沢山ですが、とどまるところがないので、今日はこの辺で---、又機会があれば何時間でも構いませんので---。才津拝

ふるーとさん

2013年08月14日 19:17

敗戦から10年ですと、まだ子供の頃ですよね。それでジャズの中で生活ですかあ、 すごい。
私は、約20年後位に、都内、都下、神奈川のキャンプを周った経験がありまして
ジャズは心の中に住み着いています。
それにしても、すごい仕事をされていたのですね。ぜひ、お話をお聞きしたいです。
ジャズメッセンジャーはジャズの原点のよう、ビックホー松本英彦、強烈でしたね。