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北海道開拓。 屯田兵
屯田兵とは、北海道の警備、その地の開拓を図るために、道内各地に土着兵を配置した特異な制度である。 明治6年1月に、徴兵制が施行され、国民皆兵の制度が全国に広まったが、北海道は人口が少なかったため徴兵制の適用外に置かれ(琉球も適用外)、北海道の軍備は手薄な状態であっ...
北海道開拓史。 明治の十勝①
【十勝の明治】 「明治14年の政変」(憲法制定をめぐって、伊藤博文や井上馨が大隈重信とブレーンを政府から追放した政治事件)は、松方正義大蔵卿の登場で極端なデフレを生んだ。 紙幣整理、財政緊縮、増税…一連の引き締め政策で、北海道にも不景気が押し寄せた。 不況は明治1...
北海道開拓史。 十勝の明治②
十勝といえば晩成社。 晩成社といえば依田勉三。 十勝の開拓はこの晩成社をもって始まるとされる。 依田勉三以下27人が、伊豆から札幌県河西郡下帯広村(現、帯広市)に移住したのが、明治16年5月。 『十勝に一番乗り』 勉三は道内を二度事前調査し、札幌県庁で十勝を推薦さ...
北海道開拓史。 松浦武四郎。
北海道開拓史で忘れてはならないのが、 【松浦武四郎】: 文政元年(文化15年)2月6日(1818.3.12.)-明治21年(1888.2.10) 71歳。 伊勢国一志郡須川村生れ(三重県松阪市小野江町) 江戸時代末期から明治にかけての探検家、浮世絵師、著述家、好...
北海道開拓史。①宗教道路(本願寺道路) ②囚人、集治監③囚人道路
① 宗教道路(本願寺道路) 明治2年9月、東本願寺本山が表向きは①新道切り開き②農民の移住③移民の強化 の三つを公約として政府に北海道開拓を出願した。 放浪の旅にあった教如上人を拾って東本願寺を贈ったのが徳川家康。東本願寺が徳川家にひく由緒を維新時に朝廷派が重...
北海道開拓史。 火力.水力発電。
『水から光を』 明治30年1月元札幌区長 林顕三が1年かけて『意見書』を作成。 その内容は札幌の郊外に水力発電所を建設して工業用電力の供給、余水も水田開発に利用するというのものであった。 札幌ではすでに火力発電により電燈事業が、一応軌道に乗りかけていた。 明治22...
北海道開拓史。 拡大された鉄道網
【近くなる】 明治43年当時の東京への道は? 一つは、汽車で小樽、ここから船で横浜へのコース。 次は、岩見沢経由の鉄道で室蘭まで。あとは同じく船で横浜まで。 もう一つは、室蘭から船で森に上陸。そのあと森ー函館間を鉄道(明治36年に開通)、函館から船のコース。 もっ...
北海道開拓史。 西郷病。
【西郷病】:西南戦争みやげ コレラ 西南戦争の『戦勝』に屯田兵(約400名)と同予備軍(約660名)は北海道に引き揚げてきた。 この勝利の帰還にもう一つ、余計にみやげがついてきた。 コレラの持ち込みである。 当時は、清国(中国)に流行していたコレラが西南戦争中、...
北海道開拓史。 ご料林。 北京の夢。 女医、その一号。
北海道開拓史。 ご料林。 北海道の最大の地主は、なんといっても皇室。 皇室財産として森林を推奨したのは、林学博士中村弥六だが、皇室が所有するその森林は、つまり『ご料林』は明治5年にはまだ千ヘクタール。 明治18年でも3千2百ヘクタールだったが、その後国会開設に伴...
北海道開拓史。 内地か、府県か。
【巨星おっ、明治天皇】 明治天皇の病が発表になった明治45年7月20日から11日目の午前零時43分。 天皇は、満60歳の誕生日を迎えることなく、その生涯を終えられた。 こうして明治は終わった。 30日で明治は大正元年になった。 維新後の日本の政治体制は、天皇を柱と...
はじめまして。北海道の事が知りたくて入りました
魚🐟の仕事をしていて、魚を捌くより食べる事の方が好きです。北海道に行って海の幸を満足できるまで食べたいです。こんな自分ですがよろしくお願いします。
北海道開拓史。地名。
北海道は、35市、129町、15村 計179 540万人、244万所帯(2017年) 北海道の地名は、アイム語の地名がある場所には、これに漢字をあてて地名することが多かった。 札幌:(乾いた大きな川を意味する サッ.ポロ.ペッ)と(その葦原が.広大な.川.サリ....
北海道開拓史。 鉄道。
【義経号走る】 開拓使時代末期の大きなニュースに幌内鉄道の開通がある。 幌内鉄道とは、手宮ー幌内間90キロの官営鉄道で、明治22年北海道炭鉱鉄道の所有になるまでこう呼ばれた。 全線開通は明治15年11月13日。 このうち、小樽ー岩見沢間は現在の国鉄函館本線の一部(...
北海道開拓史。 石炭。
【北海道の幌内に大炭山発見…】のニュースは、直ちに札幌本庁の榎本武揚(四等出仕の肩書、判官相当の地位。賊軍の将であれば決して悪い待遇ではなかった。)から、明治5年(1872年)初夏に近いころ、東京の黒田次官に届けられた。 榎本の初手柄…幌内炭山ー榎本によって『高島...
北海道開拓史。 札幌
札幌の開拓への道(乾いたを大きな川を意味する サツ.ポロ.ペッ)と(その葦原が、広大な、川 サリ.ポロ.ペッ)のアイヌ語に漢字あてた。 『札幌を北海道の中心と』考えた人は、1807年、幕命で蝦夷探検を行った 近藤重蔵で、石狩平野が『蝦夷第一等の枢要な地である』と述...
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