信濃と阿蘇は古代から関係があり、更にいくつかの類似点があるようです。(結)

(続き)
 9世紀前後にヤマト王権の政策が、どのように、また何故変わったのかを調べてみると、やはり伝説の背景をうかがわせる歴史があったようです。

 ヤマト王権は、いわば「日本列島改造、地方創成」プロジェクトにより、農業振興をはかるため、743年に「墾田永年私財法」を作り、そのため地方の荘園を持つ貴族、支配層は競って百姓を使い開墾をし、百姓は自活する暇もないほど働かされ、自分の土地を持つ余裕がなくなり、貧農が増加していった。
 そこで天皇の寵愛をうけた僧の道鏡の提案で、仏教擁護の理由もあり、765年に「寺院以外は一切の墾田の私有を禁ずる」という「加墾禁止