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よくあるご質問

日本書紀を訪ねて 「神武東征伝説編〈一〉 (奈良・宇陀、桜井)

28日の読売新聞夕刊「日本書紀を訪ねて 伝説編〈一〉神武東征」は、初代天皇と記される神武の物語から奈良県の宇陀市、桜井市を訪ねます。宇陀市の鳥見山公園は神日本磐余彦天皇(神武天皇)が日向を発ち、奈良盆地とその周辺を征服して、はじめて天皇位につき、天つ神を祭った場所だとされています=大阪本社編集委員 河村道浩撮影 2020年7月28日公開
https://www.yomiuri.co.jp/stream/article/15769/

神武東征の時期が解明されれば日本史も大きく変わり日本書紀も見直されるのではないでしょうか?

神武東征(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E6%9D%B1%E5%BE%81
神武天皇(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87

コメント

是空さん

2020年11月02日 14:47

むさしさん、リコメントありがとうございます。
是空は、実は、神日本磐余彦は、出雲~全国制覇した大己貴命と日向の現地妻=木花開耶姫(玉依姫)の子 ではないかと想像しています。
それ故、日向出発に際して、死んだ父親と祖父=素戔嗚、義理の曽祖父を祀ってから出発した・・・母親は存命で途中まで同行・・貴船神社等の水源地を押さえた。
死んだ父親は大神神社にも祀られていて、大和をも支配していた証拠。
神武は下記の天神の子である証拠の神器を保有
先に大和へ派遣されていた饒速日尊も同じものを持っていた・・
引用⇒「それでも長髄彦は恭順しなかった。彦火火出見尊が天神の子であることを疑ったからである。長髄彦は主君の饒速日尊が持つ神器である天羽々矢と步靫(かちゆき)を見せた。まさしく本物であり、彦火火出見尊も自分の神器を見せた。もちろんこれも本物である。長髄彦は彦火火出見尊を天神の子と認めたが、それでも屈服しなかった。そこに饒速日尊が現れ降参するよう長髄彦を説得したが、改める気持ちは無い長髄彦は饒速日尊に誅殺されることとなった。」

むさしさん

2020年10月31日 23:45

是空さん、
コメントの返事後回しになりごめん、後で書こうとおもっていてわすれていました。
ナガスネビコはトミ族です。出雲の大神殿も作った建築師達です。今度宮崎に行ってきます。
歴史学講座「創世」トミ族の正体(建築師たちの伝統)
https://smcb.jp/communities/1324/topics/2350341
神武天皇の即位は河内潟の末期、紀元前60年かも?
大和にはオオクニヌシが出雲からでかけていた、そこに神武が入ってきた。最初は奈良盆地の南、橿原だったが中央に出てきてオオクニヌシに国譲りをしてもらい出雲に帰ってもらったのでは?(神武以降)

是空さん

2020年09月21日 13:44

「阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)で7年、吉備国の高島宮で8年過ごした。
浪速国の白肩津に停泊すると、登美能那賀須泥毘古(ナガスネビコ)の軍勢が待ち構えていた。」と古事記に書かれているそうで、登美能⇒トミ族≒出雲族??
神武天皇の実在性云々や、天皇即位の年は実際はいつ頃だったか(書かれている紀元前660年はあり得ない)等々・・
「神日本磐余彦天皇(神武天皇)が日向を発ち・・」の日向国一宮は都農神社=神武天皇創建・・
社伝によれば、神武天皇即位の6年前、天皇が東征に向かう際に鎮祭したことに始まる・・云々で古事記記載の(吉備国で8年等々の)年数と不整合。
主祭神が「大己貴命」=大国主命、
隣に並ぶ摂社は左手に「素戔嗚神社」、右手に足摩乳神社・手摩乳神社
これが何を意味しているか?? 答えは簡単。 
離れた場所の末社に旧本殿を移築した熊野神社も意味深。
神武天皇の父親?鸕鶿草葺不合尊も、祖父?の彦火火出見尊も、曽祖父??瓊瓊杵尊も祀ってはいない。 異名同体・・たくさん名前を持っているからねー。