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よくあるご質問

ひ・み・つ 〜松田聖子〜

松田聖子が最も素晴らしかった頃、歌もその容姿も魅力のピークを極めた頃と言うと…やはり最初の結婚前の80年代前半、特にデビューからRock’n’ Rougeぐらいまで…と僕は思うし、一般的にそう思う人、特に♂には多いと思う。まあ、歌唱力なら90年代、という人がいるかも知れないが、何せ歌っていた楽曲のレヴェルがまるで違っているし。

ところが、不思議な事に、例えば先日放映された“出張撤子の部屋”でもそうだったのだが、聖子は80年代前半の自分自身の映像が映った途端に“もう、止めましょうよ〜”“あ、もういい!”とか途端に大袈裟に恥ずかしがり、拒否反応を示すことがとても多い。それ以降の映像に対しては至って冷静なのに。僕としては、今のオールバック&タヌキメイクこそ“もう、止めましょうよ”と言いたいのだが(笑)。
まあ、人間誰しもひとりきりで思い出にひたるのならともかく、若く勢いに溢れてはいるけど未熟で、しかも時代が変わってしまったために今ではやたらダサく見える格好をした自分を、多くの人にさらすのは多少とも気恥ずかしさを覚えるものだ。だが、聖子のこの反応、自身が“最も輝いていた時期”に対するこの奇妙な屈折は、いささか度が過ぎていないだろうか?

実は、聖子本人はこの時代の自分にはどこか割り切れない、100%完全肯定しかねるような、何か複雑な思いを持っているのでは、そんな気が僕には以前からしてならない。意外に思われる方もいるかもしれないが、少し注意深く聖子を観察するとこんな邪推(?)にも思い当たることが多いことに気づくだろう。

例えば、ファンからの要望の多い80年代聖子の数々の映像のDVD化。実現すれば下手な新作よりも遥かに売れるだろうに、未だにその計画さえ聞かない。複雑な権利関係などが問題になるのだろうが、一番の障害は聖子本人がこうした計画に大して気乗りがしていないことと思われる。今でも現役のアーチスト(なんて言葉は僕は嫌いなのだが)が30年も昔の自分の姿で儲けることを潔しとしない、そんなプライドはわからなくはないが、それにしても、その姿勢が頑なすぎだ。

そして、聖子の自作自演のSSWに対する盲目的なまでに強すぎるこだわり。聖子の本分が表現者=インタプリターであり、創作者=クリエーターでないことは全ての人にとって明々白々なのに、聖子本人だけがその事実を拒否し続けている。松本隆によれば、80年代、聖子が受け取った曲に対し、文句、いや意見でさえ言う事はほとんどなかったと言う。若松宗雄プロデューサーは、聖子よりの要望を受けることもあったが、それを聞きいれる事は一切なかった、そうした事をはねつけ、ぶれないことが自分の仕事だったとさえ断言している。だとすれば、創造者聖子のこだわりは、ひたすら表現者に徹することで、自分の意思とは別なところで、自己最高記録を作ってしまったかつての自分に対する対抗心、反抗意識のせいではないか?

90年代の聖子の自作詞のあまりにシンプルで、一切引きずるものが無いような、それこそ“便所の100ワット”とさえ言いたいような空疎なまでの明るすぎる前向きさ、それを聖子の詩表現力の貧しさに帰する事は簡単だけど、僕はそこに明るさのネガとしての不気味なまでに強烈な過去に対する拒否があるように思う。過去をどうしたって見たくないものは前を向くしかないじゃないか。それは僕には痛いほどよくわかる。

ただ僕がどうしてもわからないのは、傍から見ればあんなにも可愛らしく、歌う歌すべてが名曲ばかりで、時代の追い風に思い切り吹き上がられていたあの頃に、聖子が心中深く誰にも見せることなく抱えていた不満、あるいは悩み、辛さ‐今に至るまで聖子にその直視を許さないほどの闇、と言っていいのか、それさえ僕にはわからないのだが‐それは何なのか?ということだ。ただ唯一わかるのは、聖子はそれを絶対に語る事はないだろうということだ、これからも永遠に。

あまり触れたくないのだが、それをふと感じさせてしまったのが、先日のNHKドラマの“あまちゃん”の科白に聖子がクレームをつけたとかつけないとかいうアサヒ芸能の記事だ。事の真相はわからないが、事実として劇中の春子の聖子賛歌としか言いようのない、それゆえにそれを見た多くの聖子ファンが快哉を上げた科白の一部がDVD化に当たって一部削除されたらしい。多くの聖子ファンがそんな記事は悪意のあるデマだ、と願っていたにもかかわらず。

大衆の憧れと夢、その反作用としての悪意と嫉妬を一身に浴びるスターは、それゆえに本人でしかわからない、つまり一般人である僕らには理解を絶する複雑な心情を持つものだ。そんなスターらしいスターの最後の女性歌手が聖子と明菜だった。残念ながら明菜はそれにつぶされてしまったが、聖子は何とか持ちこたえている。それで僕ら聖子ファンは満足すべきなのかもしれない。

コメント

ボッサクバーナさん

2013年10月01日 02:19

すいません。今回も音楽のことから書けませんでした。言い訳させてもらえれば‐といってこの間から言い訳ばかりなのですが‐どうしてもこの件は気になって書かずにいられませんでした。次は音楽をちゃんと書きます、なんちゃって。できるかな?

全盛期聖子の最後のホントに聖子らしい聖子はRock’n’ Rouge。ミュージックフェアでの歌が飛び抜けて素晴らしいのだが、今やYou Tubeにもニコ動でも見つからない。というわけで、水着の聖子ちゃんを。確かオールスター寒中水泳大会で放映されたと記憶するが、既にアイドルの女王だったこんなころまでテレビで惜しげもなく水着をさらしていたなんて、今じゃ考えられん。今と違って全く無修正で粗も丸見えだったのだが、それがそそったのですね。若い人たちにはこの感覚、わかってもらえるだろうか?→http://www.youtube.com/watch?v=61q7Pxpqnow

聖子がしばしば作る超ポジティブソング→http://www.youtube.com/watch?v=UOl0ltESQYM
ひねくれ根クラおやじは正直、こういうのは困ってしまい、ついつい屈折した解釈になってしまいます。

と言うわけで、聖子には珍しい屈折ソング、硝子のプリズム→http://www.nicovideo.jp/watch/sm15466812?ref=search_key_video