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よくあるご質問

終戦前夜

これは私の日記をコピーしました

私は68年前の小学校(国民学校)二年の今夜、アメリカのB29のバクダンに追われて逃げました
翌日(敗戦の日の 8月15日)家に戻ったら隣の家まで全焼 その先に1?程の路地があり路地の先は塀を焦がした程度
それでもまだ運の良いほうで知人は家は焼けずに逃げた家族は全員爆死でした
詳しいことは以下をご覧ください

* このHPはリンクフリーを確認しています、


http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_05.html

コメント

碧空さん

2013年08月19日 11:17

戦禍の中でも、それぞれに営みがあるのですね。
それを知る由もない、戦争を知らない子供たちである私たちは、「戦争があった」という事実としっかりと向かい合う必要があると思います。

nekoさん

2013年08月18日 13:59

自民党が「憲法改正」を提起していますね。

ザックリ言えば「自衛隊」を「軍隊」にするという内容です。
今の自衛隊では自国への攻撃へしか対応できない。
軍隊ならば同盟国の攻撃にも参戦できるようにしたい(アメリカを想定してかな?)

その為の憲法改正でしょう。

きな臭い時代への逆行を感じるのは私だけでしょうか?

あさたらうさん

2013年08月18日 13:39

僕は終戦後8年も経ってから生まれました。
父は学徒で戦地に赴く前に終戦を迎えたようです。
昨年亡くなるまで父の口から戦時中の話を聞いたことは一度もありません。
ただ軍属への憎悪に似た感情は子供心に何となく感じたことはあります。

互いの国民が殺し合う戦争を望む人などほとんどいないと思います。
それでも未だに世界では軍事衝突が繰り返されています。
国を守る、民族を守る、故郷を守る、家族を守る、資源を守る、文化を守る、
守るべきものがあるとき、外交だけで守りきれないとき、人は武器を手にするのでしょうか。

こうさん

2013年08月18日 08:09

おはようございます

空襲の被害など詳しいことはトピックに添付のHPを見ていただくとして私個人のその前後の行動です

国民学校(小学校)初等科の三年生以上は農家の手伝いや軍需工場などに強制的に勤労動員
私は遊んでいられる最年長だったけど家の手伝いは勿論、近所の家に手伝うことが無いかと聞かないで遊んでいると必ず(自分の親に限らず)大人に叱られました

夜は白熱電球に黒い布で遮光して灯りが家の外に漏れないようにしないと「◯◯さん明るいよ」と通りがかりの人に声をかけられるので四六時中ビクビク・・

夜は防空壕の中で寝ていると爆発の音がしたので飛び起きて防空壕から出たら昼間のように明るい照明弾がゆらゆら落ちてきて油脂焼夷弾(破壊が目的でなく家などを燃すのが目的)や爆弾が無数に落ちてくるなかを家財を預けておいた農家までの約5?を走って逃げて翌朝nekoさんのお尋ねの全く雲の無い青空の元で蝉の声だけの飛行機の音など何も聞こえない静かな道を歩いて戻ったので『玉音放送』のラジオは聞いていなかったから戦争が終わったのは知りませんでした

あの時の青空は富士山の頂上にでも行かなければ今はほとんど見られない程澄んでいました

nekoさん

2013年08月17日 21:23

私も戦争も戦争の後ろ姿も知らない世代ですが、忘れてはいけない事があると思います。68年前の8月15日も雲一つない青空だったのでしょうか?
8月は哀しい月ですね。

ホーク・フライトⅡさん

2013年08月16日 08:22

戦争・・・地球に住む人間の、一番愚かな行為だと思います。

宇宙人が来て、同じ星に住みながら、殺し合いしている姿見て、どう思うだろうか?!

こんな、野蛮な地球人と仲良くしようとは、思わないだろう。

みりんさん

2013年08月15日 20:50

終戦記念日に思う事

戦争を知らない私たちが戦争について考える日
せめてこの日だけは・・・

戦争を忘れないこと、そして私達の後世に
戦争を伝えていくことが、日本が犯した過ちの償いであり
日本の未来のために散っていった方々、原爆などで亡くなった方々への
弔いだと思います。。

碧空さん

2013年08月14日 23:29

私は「戦争が終わって生まれた子供たち」の一人です。
そんな者がとやかく言うのはタブーであるほどに、その実情は想像を絶するものであったことでしょうね。

戦争が破壊と人殺ししか残さない…、これは自明の理でありながら、しかし、人類の歴史は太古の昔から、戦争の歴史であったといわなければなりません。
これだけの文明を築いた人類の叡智には、戦うことに関しては学習能力はないのでしょうか。

「人一人の命は、地球より重い」、終戦から20年後の小学校の授業では、こう習ったような気がします。