終戦記念日に想う

間もなくタイトルの記念日がやってきます。私の人生で最も忘れがたく、忘れられない経験でした。
昭和19年国民学校卒業。現在の新日本製鉄?輪西製鉄所に養成工として、入社しました。配属先は各製品の検査をする部門でした。その職場には同年齢の女子が5名ほどいました。彼女たちは標準語(そう思った)でしたが、故郷は北海道の日本海に面した僻地の漁村でしたが、言葉は雲泥の差でした。私は室蘭に来るまでは、生を受けた故郷以外に出たことはありませんでした。私が話す言葉が標準語だと思いつつ入社しました。が、私が話すたびに彼女たちは大笑いをします。ある時親しかった女性にその理由を聞