戦中より戦後がひどかった

小学5年生で終戦。集団疎開から東京に戻り、食糧難から父の故郷であるコシヒカリの産地に移住しました
豪雪に驚きましたが、それより荒れた土地の開墾に朝3時に起き夕方7時からキビの粉引きと、勉強もままならず、今では想像もつかない過酷な日々を過ごした記憶が鮮明に残っています
そんな衣食住に追われていた時節、ラジオで流れた「青い山脈」が唯一心を癒してくれました