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よくあるご質問

東北のアイヌ語地名

2011 11月11日 アイヌ人ー津軽藩には、数多くが住んでいた!(再録)に関連して、
http://smcb.jp/_bt01?topic_id=1295953

『二戸の聞書』山口弥一郎 昭和18年 の最後に、アイヌ人の章が有り、江戸時代初期の津軽藩にアイヌ人部落が存在した記載が有った。

江戸時代本州にアイヌ人が住んでいたのを発見したと思って、やや興奮気味に書いた記事でありましたが、これはかなり周知の事実であったようです。私ら一般人の知るところでなかったというだけで。

15年くらい前建築屋で仕事をしていた時も、青森出身の人が明治のころまでアイヌ人がいたという話を聞いて、ほんとかなと思ったりしたときがあった。

今日こんな記事を見つけました。
?http://www.milwork.org/ainu/index.html

北前船
 東北各地を歩いた真澄が、松前に渡ったのは35歳の時でした。津軽の宇鉄では船を待つあいだ、アイヌ集落に留まって蝦夷の知識を得ていますが、当時の津軽藩では、アイヌの風習の駆逐に懸命になっていた時のようです。
千葉大学 中川裕 助教授
 「津軽藩で、蝦夷の風俗の禁止令と言うのが出ているんですね。つまり、当時までアイヌの風俗がまだ残っていたと…しかもその当時の人達の名前を見ますと、皆アイヌ語なので、当時までアイヌ語が使われていたと言うことは確実なわけです」


?Hirosaki University Repository for Academic Resources
Title
<書評論文>北奥地域の歴史主体をみつめて : 浪川
健治著『近世日本と北方社会』の書評と紹介
Author(s)
田端, 宏
Citation
弘前大学國史研究. 96, 1994, p64-70
http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/3118/1/HirodaiKokushi_96_64.pdf

一七五六年( 宝暦六)には'津軽アイヌの「 狭」としての政治支配は
廃止される。髭、髪を改めさせ'人別帳にのせ、宗旨改めも行う'これ
で「 人間」としてとりたて「 狭」ではな-なったとされるわけである。


明治期に北海道で行われたアイヌ人への和人化政策とも通じるもので、彼らの風習を日本人化させようとし成功したように、彼らは決して自分たちの先祖代々からの生活習慣を絶対的に守るということはなくて、民族的な文化を保持するだけの人口も分布していず、日本人社会に飲み込まれていったのだろうか。

北海道や津軽のようにある程度以上アイヌ人がいた地域ですら少しずつアイヌ人特有の文化が消えてったことから考えると、それでも秋田・岩手・山形などに色濃く残るアイヌ語地名、少しながら宮城にも残るのは、アイヌ人の人口がもともと少なく境界地域だったのだろうか。

もともと関東やその以西にも一杯いたのが長い年月の和人の人口侵略によって、地名も含めて消えていったのだろうか。

私は、少なくとも地名は簡単には消えてなくならないことから、東北を南限として生活していたように思う。

だから東北以西の地でアイヌ語地名の分析をなされてる方がいっぱいおられるが、かなりこじ付け的になってるように思います。

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