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よくあるご質問

東北のサケ・マス漁は古代からどのように行われてきたか。簗場等も。

学生時代、福島南会津郡田島町の民族資料館で見た、明治・大正のころのマスを取る大きな銛・ヤスなどの漁具などの展示。

また双葉郡浪江町の請戸川などでのサケ漁、人工ふ化するための捕獲。

最近見たのだと、青森県の奥入瀬川でのヤナ場でのサケ漁。

ここは鉄の柵がしてありここから上流は一切行くことができません。

サケ漁以外の時期はどうなってるのかはわかりません。

北海道も含め今、人工ふ化のために稚魚を放流するのは、かつて自然のままでのサケの遡上があったところばかりかと思います。

北海道アイヌのサケの漁業活動はよく写真や絵などでも見かけましたが、東北地方ではどんな文化が残ってるか興味があります。

今、多くの河川で護岸工事やダムなどの設置で、サケマスもそのままでは遡上自体が産卵場所の山奥まで、ほとんどできなくなりました。

イワナなどの職漁師〈毛バリ釣り〉は、最近まで桧枝岐などに残っておりました。

何日間か部落から離れて、川で撮ったイワナを一斗缶に入れて川に活けておき、次々に上流目指していき、帰りにそれらを回収して旅館などへ卸していい商売になったとあります。

それがイワナやヤマメの養殖事業が成功するようになり廃れる方向に向かいました。

ここ30年くらいのことでしょうか。

その記録は本などでも読むことができます。

福島南会津で見た秋の落ちアユ対象にしたヤナ場、これなども山形の白鷹町の棚場も今シーズンになると賑わってるようです。

中世・江戸時代・明治大正・昭和の時代にどのようになされてきたのか調べていきたいと思います。

コメント

harutonoさん

2013年08月16日 19:51

魚形文刻石(ぎょけいもんこくせき)というのがあるようです。縄文中期から後期の遺物

?http://www.city.yurihonjo.akita.jp/yashima/yashima/siryokan/tenji_5.htm
 通称鮭石:昭和28年10月5日(県指定文化財)

 遺跡地は矢島町前杉台地東南斜面の杉林の中で、前面が子吉川にのぞむあたりである。

 原始先住民族が、鮭の豊漁を祈ったものか、それとも鮭の死霊をとむらったものか、全国的にも数少い遺物である

?http://www.akitafan.com/sightseeing/detail.html?data_id=1347


?http://www.yurihonjo-kanko.jp/modules/gnavi/index.php?lid=87&cid=40

 矢島地域では、7カ所から魚の絵が刻み込まれた石が見つかっています。魚形文刻石(通称 鮭石)とも呼ばれ、30cmから1m前後の自然石に魚形を刻んだ石の総称です。これは縄文人が鮭の豊漁を祈ったものと考えられ、現在は県の有形文化財に指定されています。大昔から「石の文化」があったことをおしえてくれます。

 前杉の魚形文刻石は、直径1.5m、短径90cm、厚さ45cmの安山岩の自然石で、昭和6年(1931)前杉の丘陵の中腹から発見された。この石には多くの魚形が線刻されて、このうち12匹が判然としています。大きさは最大52cm、最小10cm。鰓はわずかにカーブし、口はこれまで直線、目は丸点、尾は撥形と、一見象徴的ですが、すこぶる雄渾なタッチです。昭和28年(1953)付近を発掘調査した結果、組石2基、石器、縄文中期の土器などが発見され、縄文時代中期のものと考えられています。線刻に使用した利器は、石小刀であったと見られています。

?http://blogs.yahoo.co.jp/syory159sp/24779661.html
発見された場所は標高450m、山間部なんですが、縄文時代、鮭は今のようにダム、堰堤がある訳ではないので、内陸奥地まで上って来たのでしょう。

この鮭石の絵を見た江戸時代の紀行家菅江真澄は、「雪の出羽路」に「小法師童(ばら)の戯れ」と記録しているようですが、実際には同じ場所で縄文の遺物が出土しており、縄文時代中期のものと推定され、呪術的なものか、鮭の豊漁を願ったものと考えられているそうです。