斎藤茂吉の疎開

 山形新聞が出した『最上川』という本がある。その中に疎開していた時に、天皇が全国各地を敗戦で打ちひしがれていた国民を励ますために巡行されたが、その時に門人と一緒に旅館にお泊りになっていた天皇にご進講を要請されて駆け付けたという記事がある。

『斎藤、どうだ、元気か?』みたいな声をかけられた。国宝級の歌人の存在をご存じだったのである。

 茂吉は昭和20年4月に上山に戦時疎開し、5月25日に空襲により青山の自宅・病院が全焼したため、妻と2女と一緒に齋藤十右衛門宅に疎開生活しました。疎開先はその年限りとなっていたため、転居先として上山や、大石田、山形、宮内等