江戸後期の遊歴の文人菅江真澄は天明6年(1786年)7月24日に観音寺を訪れ、主の法印より寺の由来や源義経と皆鶴姫の伝承を聞き取って、この歌を詠んでいる。NHK大河ドラマ『義経』放映を記念して平成17年9月建立。
天明6年(1786年)7月8日、菅江真澄は気仙沼に来遊し、8月4日まで滞在した。
廿四日 海岸山普門院観音寺といふみてらに入て、日のななめになるまで、あるじの法印にかたり奉るに、慈覚大師、この山ひらき給ひしころ、持給ひし石の独古あり、こは出羽の国の山寺、ひえの山、いまひとつは、この寺ならではあらじ。
又よし経のふる笈、ここにも見へ
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