お寺のお話 東京オフ会 第8回 「松月院松宝閣(宝物館)拝観と東京大仏」

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お寺のお話 東京オフ会 第8回 「松月院松宝閣(宝物館)拝観と東京大仏」
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開催場所:東京都西高島平駅 地図を見る

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コミュニティ お寺のお話し
主催者
カテゴリ その他(セミナー・交流)
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料金
  • 0円
料金用途 無し
参加人数 2名
募集人数 5名 受付終了
最小催行人数 2名
対象
開催日時
開催場所 東京都西高島平駅 地図を見る
募集期間
イベント内容
 松月院は延徳4年(1492)に千葉自胤が寺領を寄進して中興したと伝えられている曹洞宗寺院です。江戸時代は、将軍家から寺領40石を与えられた朱印寺でした。墓地内には、千葉一族や鎌倉時代の僧了雲の墓、境内には天保12年(1841)徳丸ヶ原で西洋式砲術の調練を行った高島秋帆を顕彰し、大正11年(1922)に建立された顕彰碑があります。
今回は松宝閣(宝物館)所蔵の宝物を拝観します。

◎徳川将軍朱印状(板橋区指定有形文化財(歴史資料) 昭和59年12月20日指定)

 天正18年(1590)、小田原北条氏が滅亡すると、豊臣秀吉は徳川家康に三河など5ヶ国にかえて武蔵など関東6ヶ国を与えました。家康は同年7月に関東に移り、すぐに江戸城に入城して領国経営に着手しました。翌年には新領国内の有力な寺社に対して、一斉に領地寄進状を発給しています。区内ではこのときに板橋氏に縁のある下板橋の乗蓮寺と智清寺に対して、それぞれ10石と5石の寺領が安堵(あんど)されています。また千葉氏ゆかりの松月院は赤塚内で40石の寺領が寄進されています。江戸時代の徳川将軍朱印状は、先代を踏襲しながら将軍の代替わりごとに発給されています。松月院には朱印状を出した徳川将軍から朱印状の実物が伝えられています。また、江戸幕府が倒れると、徳川家の威光を象徴する朱印状は明治政府のもとで多くの場合回収や朱印部分の削除・墨塗りなどの処置がとられており、その点からも実物の朱印状が今に伝えられていることは貴重です。

◎大堂阿弥陀如来坐像(橋区登録有形文化財(彫刻) 平成5年3月24日登録)

 大堂の阿弥陀如来坐像は、木造で黒漆塗り、来迎印(らいごういん)を結び結跏趺坐(けっかふざ)をしています。平安時代後期の様式を示していることから、もともとの造像は12世紀に遡るものとされています。像内には天正2年(1574)と万治2年(1659)に修復を行った際の墨書銘が残されています。修復は大規模なもので造像当初の部分は体部前面材のみであるとされています。

 十方庵敬順(じっぽうあんけいじゅん)による紀行、『遊歴雑記』初編(文化11年・1814序)にも、「赤塚村大堂の古鐘銘」の中で本像が紹介されており、永禄4年(1561)の上杉謙信による小田原城包囲の途上、上杉軍が赤塚郷を通行した際に大堂が放火されたことを記し、「・・・本尊の弥陀御脇腹に焼けたる跡の顕然たるは是なり・・・」と続けています。中世の罹災伝承と坐像修復時期との関連がうかがわれます。

◎閻魔堂閻魔王坐像

(通常松月院の宝物館である松宝閣見学の際は事前連絡し別途入館料が必要ですが期間中は無料公開されます。)

今回は松宝閣見学の後、乗蓮寺の東京大仏、板橋区郷土博物館をご案内予定です。

駅から松宝閣までは片道20分程です。歩行距離がありますので歩きやすい靴でご参加ください。

集合:都営地下鉄三田線 「西高島平駅」 10時00分

解散:都営地下鉄三田線 「西高島平駅」 13時00分

参加者専用伝言板

公開伝言板

公開伝言板に書き込んだ内容は、すべての会員が見ることができます。参加者専用伝言板はイベント参加後にご利用になれます。

高尾の天狗さん おはようございます 

11月4日は、月曜日ですが、祝日ですね。私は「地元の川柳会の月例句会」が予定されているので、参加できません。(♪泣♪) ( ˘•ω•˘ )今後ともよろしくお願いいたします。