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よくあるご質問

五稜郭

所在地  北海道函館市

1857年(安政4) 江戸幕府は伊予大洲藩の蘭学者武田斐三郎(あやさぶろう)に命じて
日本最初の西洋式の城郭を築城させる。
1866年に完成。

五稜郭と云えば函館戦争。函館戦争と云えば土方歳三ですね。
五稜郭を見下ろす五稜郭タワーも土方グッツのお土産で一杯でした。

皆さんの中にも新撰組ファンは沢山いらっしゃる事と思います。
そこで今回は五稜郭・土方・新撰組・近藤勇や沖田総司 etc.
何でも結構ですからトークして頂きたいと思います。

宜しくお願いします。

上の写真は五稜郭タワーから眺めた五稜郭公園。
真ん中は函館奉行所。
下は土方歳三のお墓です。

コメント

有情さん

2013年09月01日 08:48

かんちゃんさん

新撰組が大阪商人から借用した総金額は七万一千両だそうです
たぶんほとんど返済はしていないと思います。

かんちゃんさん

2013年09月01日 08:23

有情さん 

手元に土方が大坂の豪商から借りた借金の借用書のコピーがあります。
400両を月4朱の利息で借り、翌年5月に返済するという内容です。日付は慶応3年で、翌4年1月には鳥羽伏見の戦いで幕府軍は敗走していますから、もちろん借金は返済されていません。

土方が署名押印し、「相違ない」と近藤勇が保証人として連名しています。

蝉の声さん

2013年09月01日 07:58

有情さんへ

 コメントを有難うございます。

 そうですか。
 大阪商人も苛められたのでしょうね。

有情さん

2013年09月01日 06:55

新撰組の本は読みましたね
意外とこちらではあまり人気がないのですよ

刃傷沙汰が多いので
それと奉行所与力を暗殺してますし
その遺族の方が未だに「絶対許しません」と言っております

近所の豪商の家から新撰組、近藤勇の金品借用書が出てきて
何千両と書いた書付が何枚もあって
結果それは踏み倒してますので

でも新撰組の話は好きですね。

蝉の声さん

2013年09月01日 06:49

春秋さんへ

 コメントを有難うございます。

 私も春秋さんと同意見です。
 私は、どうも薩長には生理的に嫌悪感を感じてしまいす。

蝉の声さん

2013年09月01日 04:51

マツケンさんへ

 コメントを有難うございます。

 ご丁寧に、資料をお調べ頂き感謝いたしております。

蝉の声さん

2013年08月31日 20:19

かんちゃんさんへ

 コメントを有難うございます。

 今私の手元に昭和46年10月1日第一刷の河出書房の 『歴史と小説』 があります。
 40数年前の高校時代に読んだようです。
 紙も少し黄ばんでいます。

 実際に五稜郭へ行って、司馬さんの仰る事は正にその通りだと実感しました。
 現在なら観光名所としての価値はありますが、
 諸外国を相手にこの城郭では戦争になりませんね。

蝉の声さん

2013年08月31日 18:38

山ちゃん。さんへ

 コメントを有難うございます。

 浅田次郎原作の 『壬生義士伝』 私も涙を流しながら読みました。
 勿論、映画も涙涙で観ました。

 私にとって映像の新撰組は、栗塚旭扮する土方歳三ですね。
 『新撰組血風録』 と 『燃えよ剣』 を夢中になって観ていました。
 ビデオも全巻揃えてしまいました。

春秋(はるあき)さん

2013年08月31日 17:19

蝉の声さん

 新撰組、もちろん好きです。
私はどちらかと云えば、薩長派ではなく、奥羽列藩同盟派です。

 薩摩長州の明治維新は、偽の密勅や、偽の錦の御旗等やり方に問題が多すぎるのでは
ないかと思います。

春秋(はるあき)さん

2013年08月31日 17:12

ちゅうやんさん

 函館近辺の城、2010年に行きました。2泊3日でレンタカーでまわりました。
また今年の8月は家族旅行で、五稜郭(2度目です)に行きました。

 お城関係では、函館市の四陵郭、志苔館、北杜市の戸切地陣屋、松前城(松前町)、上之国花沢館、上之国勝山館等を見学しました。

かんちゃんさん

2013年08月31日 17:05

鈴カステラさんへ

司馬遼さんにしては、「らしくない」辛辣な文章でしたのでメモをしていたものです。

手元にあるのは集英社文庫本ですが、改めてみてみると、「五稜郭の百年」と題し、昭和43年に書かれたものでした。

蝉の声さん

2013年08月31日 17:04

おさなぎさんへ

 コメントを有難うございます。

 函館戦争と云えば土方歳三が一番に思い浮かびますが、
 中島親子の話を聞いた時には思わず目頭が熱くなったことを覚えています。
 腰抜けぞろいの幕臣の中に会って、三河武士の掉尾を飾った侍です。
 同じ三河人として誇らしく思います。

 10月になったら私も龍岡城を訪れてみようと思います。

鈴カステラさん

2013年08月31日 16:04

かんちゃんさんへ
 
 司馬さんのエッセイは何冊か読みましたが『歴史と小説』は未だでした。
 
 良い機会なので読んでみます。

マツケンさん

2013年08月31日 15:03

私が函館を尋ねたのが二年前でして、二度目の五稜郭でしたが、
一度目は番屋は未だありませんでしたので、再度の時は感無量でした。

尚・五稜郭の設計は書記によると下記の通りでした。

☆ 徳川家定の命により築造された。設計を担当したのは洋式軍学者の武田斐三郎。
   大砲による戦闘が一般化した後のヨーロッパにおける稜堡式の築城様式を採用し、
   堡を星型に配置している。☆でした・

蝉の声さん

2013年08月31日 13:29

鈴カステラさんへ

 コメントを有難うございます。

 不器用な男の生き様・死に様は女性だけでなく、男にとっても魅力的ですよ。

蝉の声さん

2013年08月31日 12:53

女神さんへ

 コメントを有難うございます。

 そうなんですか・・・?
 気になって他の文献も当ってみましたが、フランス人との記述は見当たりませんでしたが、、

かんちゃんさん

2013年08月31日 10:44

五稜郭について、司馬遼太郎さんは『歴史と小説』というエッセイの中で辛辣な一文を残しています。
ご参考までに以下にご紹介します。

「当時の函館奉行竹内保徳が監督し、武田斐三郎というあやしげな西洋兵術通という者が設計したもので、実際は西洋式でも日本式でもなく、一種のハッタリ設計で戦闘の実理をかいもく知らないものが役所仕事で作ったものにすぎない。
諸事そのように実体のない威力のない形式主義が徳川時代悪というものだが、この五稜郭こそそのよい見本であろう。

われわれは五稜郭を見学するとき、このインチキくさい自称要塞というものを通して、当時の幕府や幕府役人というものがどういうものであったかを思うべきであろう。
また、この程度の要塞をたのみとしていた榎本武楊という人が、この一時を見るだけでも軍事能力のない人物であったことを知らねばならず、このような人物を信頼してその指揮下にあまんじていた旧幕要人というもののあわれさもしらねばならない」

まぁ、よくもこんなにコテンパンに書き残したものですね。司馬さん。

蝉の声さん

2013年08月31日 07:49

こうちゃんさんへ

 コメントを有難うございます。

 私もこうちゃんさんに全く同感です。
 近藤も土方も武州三多摩の百姓の出ですから、
 武士に対する憧れと武士道の美学に対しては、生まれながらの武士よりは
 激しくも純粋な思い入れがあったのだと思います。

蝉の声さん

2013年08月31日 06:29

ちゅうやんさんへ

 コメントを有難うございます。

 函館観光なら元町を散策なさる事をお勧めします。
 ソフトクリームを食べながらレトロな街並みを歩いていると、
 ふと40年前の学生時代にタイムスリップしたように感じるかもしれませんよ。

 添付した写真は八幡坂です。

山ちゃん。さん

2013年08月31日 01:11

新撰組と言えば「壬生義士伝=中井貴一」の映画を思い出しましたが、
あの映画は私の記憶に残る映画の中でも五本の指に入る映画でしたね。

兎に角涙なくして見れない映画でしたが、其の中の斉藤一が物凄い剣豪で、
面白かったですね。

また新撰組と言えば我が福島県は会津藩の預かり身分で、嫌でも福島県とは
切っても切れない関係です。

新撰組内でも一番隊の隊長沖田総司など、奥州白河藩士、沖田勝次郎の長男として
生まれ8歳の時に近藤勇の道場に預けられたといいますから、此方も福島県とは切っても
切れませんね。

土方歳三も江戸から会津に立ち寄り、米沢経由で函館の五稜郭に向かいましたが、
当時は新撰組の生き残りの隊員たちも、最後のより所として一途の望みを託して五稜郭を
目指したみたいですね。

最後に一言、新撰組で一番の剣豪は、やはり沖田総司、斉藤一、永倉新八の3人が
ずば抜けていたそうです。

其れから小説などに出て来る沖田総司の愛刀の「菊一文字」は国宝級の名刀で新撰組の
一隊員の持てるような刀では無かったそうです。

因みに実際の愛刀は、加州金沢住長兵衛清光の通称「乞食清光」だったそうです。