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よくあるご質問

”動くアルプス”「プリモ・カルネラ」

今『ヘラクレスの逆襲』1959年公開 と言う映画を、YOUTUBEで見ています。

この映画は、「ヘラクレス」の姉妹版として製作されたもので、自分も中学1年生の時に見ています。

ストーリーは<怪力無双の英雄ヘラクレス(スティーヴ・リーヴス)は、ヨルコの国の危機を救い、愛するヨーレ(シルヴァ・コシナ)と結婚し、ユリシーズを伴って故郷テーベへ向った。テーベの王位には、兄のエテオクルスと弟のポリニースが一年ごとにつくことになっていた。が、期限が来てもエテオクルスは弟に王位を譲らなかった。怒ったポリニスは兄を攻めようとした。エテオクルスは王位を譲る伝言をヘラクレスに託した。ヘラクレスはヨーレを兄の許に残し、ユリシーズとポリニースの所へ向った。途中泉の水を飲んだヘラクレスは、一瞬にしてすべての記憶を失い、そこに来た一隊の兵士によって、海の彼方のリディアの国へ拉致されてしまった。ここにはオンファーレ(シルヴィア・ロペス)という美しい女王がいた。彼女は魔力でヘラクレスをミイラにしようとした。ユリシーズは、何んとかして波を救おうと努力した。ユリシーズの放った鳩がヨルコの国にヘラクレスの危急を告げた。アルゴ、ラニルテらヘラクレスの盟友たちは海を越えてリディアに到着した。オンファーレの軍隊との戦闘に、力をとりもどしたヘラクレスも加わって勝った。オンファーレは自ら命を断った。一行がテーベに帰還すると、ポリニースの軍隊が兄のいる宮殿の城壁まで攻め入っていた。ポリニースもエテオクルスも死んだ。ヘラクレスはエテオクルスの軍隊を率い、残ったポリニース軍を破り、人質になっていたヨーレを救った。テーベの市に平和がもどった。新しい国王ヘラクレスとヨーレの喜ぶ姿が城壁の上にみえた。>と言う、典型的なイタリア史劇ものとして、それなりに楽しめます。

作品データ原題 Ercole e Ia Regina di Lidia
製作年 1959年
製作国 イタリア
配給 大映

スタッフ監督 ピエトロ・フランシスキ
脚本 エンニオ・デ・コンチーニ 、 ピエトロ・フランシスキ
撮影 マリオ・バーヴァ
音楽 エンツォ・マゼッティ

キャスト
Ercole スティーヴ・リーヴス
Lole シルヴァ・コシナ
Omphle シルヴィア・ロペス
Anteo プリモ・カルネラ
Urisse Gabriele Antonini
Penlope Patrizia D. Rovere

プリモ・カルネラ PRIMO CARNERA 1回
●動くアルプス ●195センチ、148キロ
●1906年10月26日 イタリア出身 ●殺人パンチ
●サンフランシスコ版世界タッグ
30 7 (日) プロレス国際試合
イタリアの出身で元ボクシング世界チャンピオン。ボクサーを引退後は故郷のイタリアに戻っていたが、ロスのプロモーター D・マッコイの誘いでプロレスに転向。「動くアルプス」のニックネームでニューヨークのマットで活躍。後にサンフランシスコに転戦し、サンダー・ザボーとのコンビで世界タッグを獲得したが、彼にとってはこれが唯一のタイトルとなった。マフィアとの悪縁が元で身を持ち崩しアメリカから逃げるようにイタリアに帰国したといわれている。1967年にイタリアで風土病のため死亡。

興味のある人は、ご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=ez59esm-kKo

ところで、3枚目の写真は、誰か分かりますか???

コメント

hideziiさん

2013年09月20日 20:16

「イテテの遠藤」と言う仇名がありましたから・・・・・

「プリモ・カルネラ」・・・・”哀しき巨人”でしたネ!!!

EOSさん

2013年09月20日 17:16

higeziiさん 
昭和37年大阪扇町プール特設リンクで行われた試合の力道山対デックハットンの
試合の前哨戦に小人プロレスがありその時にレフェリーを務めたのがプリモカルネラで、そりゃーびっくりするほどの大男でしたね、当時日本人で大男と云えば
大内山くらいしか頭に浮かびません、
三枚目の写真ですが、このサイズでは誰だか分かりませんね、
遠藤幸吉は面構えだけ見ると強そうに見えますが、本当に弱いレスラー
でしたね

hideziiさん

2013年09月20日 14:16

三枚目の写真は、「遠藤幸吉」です。

hideziiさん

2013年09月16日 13:11

S37にも来ていましたか???

外れますが、ディック・ハットンが現役NWA王者時代の時代だったと思います。

力道山が創設した「プロレス・ワールド・シリーズ」に来日していましたネ!!

その時の記憶ですが、力道山が「バック・ブリーカー」で担ぎ上げられた途端に、慌てふためいて「参った、参った!!」と連呼したことは、強く残っています。

「プリモ・カルネラ」

身長2M以上あったと思いましたが、出典によっては「195cm」とか「205cm」とか、色々ありますネ!!!

実際にご覧になった印象では、如何でした???

EOSさん

2013年09月16日 11:47

動くアルプス、ああ思い出す、名前の通り見上げるばかりの大男でした
昭和37年大阪扇町プール特設リンクで開催された力道山・ルーテーズ・フレットブラッシー・デックハットンなどが参加するイベンの前哨戦に小人プロレスが
あり、この時レフリーを務めていたのがプリモカルネラで、一般席からリングサイドに潜り込んで撮影しました、この人も亡くなってしまったのですね