我が住みか小田原と真田公との因縁

このたびコミに入会させていただき、改めて小田原と信州上田・真田公との因縁の深さに驚きかつ何とも言えぬ感慨に浸りました。

ご存知の通り、天正10年(1582)の武田氏滅亡後、群馬の沼田城をめぐり真田氏と後北条が対立。  秀吉の仲介により利根川を両者の領国境とした。  天正17年秋、後北条の軍勢は利根川を渡り、真田領名胡桃城を攻撃する。  そして秀吉の逆鱗にふれ、小田原攻めとなり、北条は滅亡する。  いきさつはどうあれ、秀吉の陰謀であろうとも、名胡桃城をめぐる真田氏と北条の戦いが、北条滅亡の原因であることは間違いない。  

私自身この事実も、名胡桃城が真