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よくあるご質問

官兵衛 神屋宗湛との鳥飼村での茶会

神屋宗湛の「宗湛日記」(正しくは慶長中元和日記並びに献立)に、慶長六年(1601)十月九日の事として鳥飼村(現・福岡市中央区鳥飼)の数寄屋で黒田長政公が「御会」を持たれ、如水公も同席されるなか宗湛が相伴に預かった、とあり、福岡藩祖、初代藩主、そして福岡・博多を代表する豪商の三人が会しての茶会があったことが記されています。

この時の数寄屋は二畳敷。床には達磨図がかかり、黒茶碗での手前だったようです。

なお「宗湛日記」原文は以下です。

一、甲州(長政)様鳥飼村にて御会 如水様 御相伴 宗湛 
鳥飼村御数寄屋 二畳敷 井ロリ 新釜ウハロ 友蓋 床ニ達磨絵懸 シガラキ(水指)
せト肩衝 袋ニ入テ 白地ノ金ラン 引切 黒茶碗 道具仕入テ 水覆シガラキ 御手前也

慶長六年は福岡城の普請が始まった年で、前年に豊前中津から転じてきたばかりの黒田家中は、10キロほど東方の名島城を、いまだ拠点としていました。

普請の便宜もあって、官兵衛如水公、長政公父子は、新城となる福岡城縄張り西方に位置する鳥飼村に別邸を設け、茶室も置いていたようです。

「宗湛日記」の翌年、慶長七年の項には、官兵衛如水公、長政公との茶会が11度にわたって記録されています。

丁度、100年ほど時代を下ったのちに、同藩儒者・貝原益軒は、この鳥飼村の茶室が入り江の汀に面していたことを、その著作「筑前國續風土記」で語っています。


(筑前國續風土記原文)

長政公の城下のほりをほらせ給ひし時、城の西、鳥飼村のひがし、別業茶屋の石がき際まて水たゝへ、 船にて鳥飼の茶屋に着給ふ。 又中島もありしが、やうやく水あせて、鳥飼の東に近き所は、草莱らいの地となる。

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