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よくあるご質問

黒田氏の旗指物

黒田家の旗指物は「中白」といわれる、上下が黒、あるいは濃紺か濃い紫で、半ばが白のものが主として使われていました。

旗指物とは陣中において、その存在を誇示する印と説明できるものですが、黒田の「中白」は、官兵衛如水公が荒木村重によって幽閉されていた有岡城から救出された元亀七年(1579)の翌年、一万石の領地持ちとなった頃に定めたといわれています。

公を描いた、司馬遼太郎氏の著作「播磨灘物語」中に、「ついでながら後年、官兵衛が羽柴秀吉にみとめられてはじめて一万石の領地をもったとき、軍陣に旗をたてることをゆるされた。旗印を決めなければならないが、黒田氏には旗印がなかった。父・職隆に聞くと、『昔はあったのだ。黒田の家はむかし近江において旗頭だった。そのころはあった。しかしその旗がどんな旗だったかわからない』との件があります。

司馬氏によると、不明となっていた旗の文様だったわけですが、一万石の領地持ちとなったことを機会に、公は、その後の江戸時代を通じて、黒田家が遠祖として公称することになる近江源氏・佐々木氏の旗を参考に「中白」を考案したといわれています。

旗指物は、公が出世し、大大名となっていくなかで六流、二十流と増えていきます。

なかに、キリシタン大名であったことから十字架を象ったものもありました。他に「永楽通寳」や「石餅」といわれる黒い円が染めぬかれたものもあったようです。

「石餅」の旗指物については、豊臣秀吉の筆頭家老としてあった藤堂高虎が使っていたことから、抗議を受け、長政公の時代になって黒田家では使わなくなったという話しも伝わっています。

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