筑紫館、つまり、福岡市の福岡城址の鴻廬館での七夕祭の話しです。
宗像三女神さまは七夕・機織との縁が深い社であるところから、物語いたします。
萬葉集の巻十五には、天平八年(七三六)に発遣された、阿部継麻呂を大使とする遣新羅使一行が遺した一四五首に亘る歌が収められています。
なかに、旧暦でいえば秋となる七月十五日に行われていた七夕祭の歌が、往路中、滞在した筑紫館(ちくしのむろつみ)、即ち、鴻廬館で詠まれたものとして見えています。
一行は、難波から太宰府を目指す途上、周防灘で遭難してしまいます。当時、那の大津と呼ばれていた博多湾を出て後には、壱岐島で随
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