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よくあるご質問

「事実を歪曲して書くメディアの見え透いたごまかし報道」・2  『報道されなかった事実』

これは、震災被害者の実態を報告している、自分には”衝撃的な内容”の記事であった。

非常に長文なので、コメントに分けて乗せることを、先にお詫びします。

<<<終らない震災〜被災地で露呈する人間のきたない本質を隠し、美談を振りまくメディアの罪>>>

<<元新聞記者という経験を活かし、社会の暗部に切り込んだ小説で話題を呼んでいる作家・相場英雄の最新作『共震』(小学館)。2011年3月11日(以下3.11)に起こった東日本大震災の、今なお続く厳しい現状をテーマにしたミステリー小説を上梓した。

 著者である相場氏への前回のインタビューでは、執筆に対する思いやそれまでも道のりを聞いたが、今回はさらに踏み込み、被災地取材中に現場で見た生々しい出来事を語ってもらった。

●震災直後の被災地の実情

 ぼくは、3.11の大震災の前から、何度も東北の街を訪ねていました。ほとんどは『みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎シリーズ』(小学館文庫/双葉文庫)の取材だったのですが、自腹旅行も多かったです。現地に友だちもたくさんできました。

 そのシリーズの最新刊が出たのが、10年の10月で……大震災の約半年前。石巻編(『偽計-みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎』 <双葉文庫>)で終わっています。震災直後はまず、石巻の友人たちが生きているのかどうか、安否確認に駆け回りました。

 その後、無事を確認できた人に「いま必要なものは?」と聞いて、ガソリンや肌着セットを東京で揃えて、届けに行きました。意外と喜ばれたのは、タバコと酒。避難所には、嗜好品までは支給されないから。
ああいう場では、食料など緊急の物資も必要ですが、嗜好品は人の緊張をほぐす効果があるので、かなり役立ちました。あと線香とロウソクも不足していました。
避難所に届けたそばから無くなっていくのを見ると、「大勢の方々が、同時に亡くなったんだな」と胸が詰まりました。

 避難所には、ウェブメディアのルポ連載でも取材に入りました。もともと記者なので、ある程度の取材の構成や全体のテーマの青写真を持って行ったんですが、現地に入った途端、全部くずれました。
 自衛隊が初めて風呂を設置してくれたタイミングで、避難所に一泊するつもりでしたが、2時間ほど滞在するのがやっとでした。現場の緊迫感が、尋常じゃなかった。避難所の人たちは、「よく来てくれたな」と歓迎してくださったんですが、お年寄りたちが、まったくまばたきをしないんです。
津波から命からがら逃げてきた緊張と、また大きな揺れが来るかもしれない恐怖で。まだ余震も、すごかったですから。
長い人生経験を積んでこられて、悠然としているはずのお年寄りが、まばたきもできないほど現実に打ちのめされている……そんなところに、とてもじゃないけど、よそから来た僕が一緒に過ごすなんて、できませんでした。

 テレビや新聞では「避難所では食事の配給時に、みんながきれいに列をつくって誰も乱さなかった、日本人は礼儀正しい」とか言われてましたけど、あんなのメディアつくった嘘です。
一枚のせんべいをめぐって、いい大人が殴り合いしたり、しょっちゅう置き引き被害も起きていました。
避難所の中では震災前の仕事や住んでいた地区などで、嫌らしいほど格差があったし、家を失った人たちを狙った詐欺師も、うようよ現れました。
「日本人の心はみんな美しい」とか、「絆でひとつに繋がろう!」とか、耳障りのいい言葉だけで震災をとらえたらダメです。見つめなければならない、被災地における汚い人間の本質がぼやけてきます。

 震災直後の現地は、東京の人間の感傷とか励ましが、いっさい吹き飛ぶほどの惨状でした。僕は震災から3週間後に、全校児童108 人のうち74人が死亡・行方不明になった石巻の大川小学校を訪ねましたが、ポル・ ポト政権の市民大虐殺を描いた映画『キリング・ フィールド』(1984年/ローランド・ジョフィ監督)を思い出しました。
--田んぼに迷いこんだガイドが側溝に落ちて、おびただしい数のミイラを見つける。ミイラはすべて虐殺された市民だった--それに似た、あまりにも濃密な死の匂いが、辺りに立ちこめていた。自衛隊員も、着の身着のままの父兄だと思われる方たちも、呆然と、泥だらけの校舎の周りに立ち尽くしている。僕もカメラのシャッターを切ることなく、ただ何もない風景を見ているしかできませんでした。(続く)

コメント

hideziiさん

2013年08月25日 03:22

(続きです。)

あらゆるメディアで報じられているとおり、確かに被災地には美談もあったかもしれないですけど、そこばかり語っていたらダメです。

例えば、宮城県の石巻日日新聞は、震災の当日から手書きの壁新聞を発行し続けたことで、感動を呼びました。
ですがあれも、当の記者たちは、新聞記者として普通の努力をしただけで、ヒーロー扱いされるのにすごく戸惑っています。
当時の古い壁新聞なんて、僕が新聞社を訪ねたときは、そこらに捨ててありましたから。

●震災はまだ終わっていない

 知り合いの記者は、ノンフィクション作家・石井光太さんの著書『遺体-震災、津波の果てに』(新潮社)を、原作も映画版も見ることができない、と言っています。
理由は見てしまえば、「自分が記者でいられなくなる」からだと。
記者が、記者でいられなくなるというほどの怖さって、計り知れないですよ。

 また地元大手新聞・河北新報の記者は、取材を続けている僕に「被災者への取材は、ナイフが刺さっている被災者の身体から、ナイフを抜く作業です」と言いました。
「僕らのやっていることは、相手に大変な痛みを与えるんだということを、忘れない覚悟でいてほしい」と。
あれは小説家からは絶対に出てこない言葉ですね。

 メモをとっていなくても、そういうリアルな言葉たちは、ずっと記憶に残っている。東京のメディアは、そうした事実をもっと受け取っていくべきだし、僕らも発信していかなければいけないと思います。
 震災のとき本当に腹が立ったのは、自粛とか言い出して、ライブやイベントが一斉に中止になったことです。知り合いの若いDJも「震災後はイベントをやめました」とか言っていましたが、なんの関係もないのでは? と思いました。
津波の被害に遭った人たちとライブは全然関係ないし、そもそも被害者の方々はあなたのお客さんではないでしょう、と。
 やるべきことがあるなら、やればいいんです。
イベントを自粛したくらいで、被災者の方々と痛みを分け合った気分になっていては、支援は長持ちしません。

 事実、現在の被災地と東京のメディアには、すごく温度差があります。ゲラ(下刷り)段階の『共震』を、たくさんの都内の書店員さんにも、読んでもらいました。
上々の評判をいただきましたが、「被災地がこんな状態だなんて知りませんでした」とか「復興はとっくに終わっていると思ってました」という意見が、とても多かった。ある意味しょうがないですよね。メディア側が原発とか領土問題とか、全然違うところに向き始めたので、忘れかけられているのも仕方ない。それとも、忘れさせようとしているんでしょうか?

 震災はまったく終わっていません。

 東北の沿岸地帯を車で走れば、一目瞭然です。津波にはぎ取られた海岸線が、延々と続いています。
少し前、小学館の担当編集者や家族を連れてドライブしましたが、皆一様に言葉を失っていました。
僕の近しい人でさえ、そうなるくらいですから、現地に行ったことがない人たちに温度差が出るのは当然でしょう。

『共震』は、そういう現状において、強いカウンターになると信じています。
僕は、被災地から離れている人たちの抱くイメージと、現実との大きな差を埋めたかった。あの日から2年とちょっと、タイミング的に出るべくして出た作品かもしれません。(談)>>


自分の感想や考えは、後で述べさせてもらいます。

この記事を読んで、去年買った本を思い出した。

「本当のことを書かない日本の新聞」

ニューヨーク・タイムス東京支局長の著した本だ。

まさに、このテーマを著した本です。