徳富蘆花「不如帰」読んで

テレビの八重の桜の大山捨松と大山巌の結婚と、徳富蘆花に八重が
話しかける場面を見て、「不如帰」に何かないか、と大急ぎで岩波文庫を読みましたァが、、明治30年代の新聞小説って、ずいぶん現代そのまま流れているんだと、意外。マスエンタメ、ゴシップ週刊誌とかの軽いノリ、文字使い、古風な言い回しには忍耐したァ( ̄◇ ̄;)だけど、日清戦争の時代ってひとびとがこんな風に、じっさいはお気楽なわけないでしょ、。たぶん大衆相手の明治新聞のかんじで、雲上人、有名人を身近なひとのように妙に馴れ馴れしい気分にさせているかな。

江戸時代から歌舞伎やお芝居も名前を変えて話しに使った