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よくあるご質問

序章

序  章  旅の終りからのはじまり
 『おくの細道』の旅の終りは、「長月六日になれば、伊勢の遷宮拝まんと、また舟に乗りて 蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」で、終わっている。
さらに、素龍浄書本(西村本・註1)には「跋」が記されている。

芭蕉翁の旅の結びの地は大垣で、この歳・元禄二年(1689)は、第四十六回伊勢神宮式年遷宮行事が行われた歳にあたっていたのである。ところで、筆者は平成二十五年八月四日の第六十二回伊勢神宮式年遷宮行事の「お白石持ち」に奉献した。
 朱鳥四年(690)持統天皇の時に始まったこの民俗行事は、現在、日本の「選択文化財・註2」に指定されており、世界に誇れる伝統文化の象徴的存在である。この式年遷宮行事は二十年に一度の開催であるが、戦国時代の九十九年間はやむなく中止された。江戸時代には再開され、次に昭和四年(1929)の五十八回以後、第二次大戦の影響で五十九回目が昭和二十八年に延期されて平成二十五年に至っていると聞く。
 さて、元禄二年の式年遷宮の詳細を知る事もないが、芭蕉翁が『細道』の旅を終え、伊勢に向かった事だけは間違いないであろう。勿論、現在まで継承された神事と同じく、三二四年前も奉献された。
(内宮参拝が陽暦の22日で外宮は10月25日に参拝)

 次に、最終句の解説であるが、尾形 仂氏は「蛤が二見浦の名産であるから、それ(二見浦)を蛤の蓋と身を掛けて枕詞のごとく置いたのである(中略)[別れ行く]から[行く秋]と言いかけてそこに季を持たせてある」としている。さらに、「無事に『細道』の旅を終えて人々に迎えられたが、遷宮参拝のために二見浦へ別れ行くのは、丁度晩秋の物寂しさを感じる」と評釈している。どの諸説も、「ふたみは、【二見浦】と【二身(蛤の蓋と身)】の掛詩で、出迎えの親しい人々との別れの物寂しさを詠んでいる」とある。しかし私見ではあるが、決死の長旅を終えて疲れ果てた自身と二見浦に向かう蘇生した我が身を「二身」と詠んでいる気がしてならない。筆者にとっても、遷宮参拝は新たな門出に相応しい神事であり、『細道』の旅の終わりが、蕉風俳諧師の新たな出発を謳歌しているかのようで、いかにも秋らしい奥深い名句の感がしてならない。

 それだけではない『細道』冒頭の発句「行く春や鳥啼き魚の目は涙」の評釈によれば、初案の「鮎の子の白魚送る別れかな」を『細道』本文染筆に際し、後で挿入された発句と解説されており、歌仙的構想のもと、冒頭の「行く春」と結びの「行く秋」の対句的構成は、なお一層の芸術性を高めていると、多くの国文学者が絶賛している。
 本書の始めに、伊勢神宮式年遷宮の旅を体験できたことによって、翁の心情を些少であるが共有できたことは何事にも変えがたい慶びを感じる。
 行く夏に 村胆刻んで 遷宮路     平成二十五年八月

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