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よくあるご質問

伊勢式年遷宮の旅を終えて

デジブックに伊勢式年遷宮の旅を納めました。

http://www.digibook.net/d/f514abfbb19e288d7d709116..

デジブックに納めましたねで、ご覧下さい・・・9月15日までしか見られませんのでご容赦下さい。

『おくの細道』の旅の終りは、「長月六日になれば、伊勢の遷宮拝まんと、また舟に乗りて蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」で終わっている。
さらに、素龍浄書本には「跋」が記されている。
芭蕉翁の旅の結びの地は大垣で、この歳・元禄二年(1689)は、第四十六回伊勢神宮式年遷宮が行われた歳にあたっていた。ところで、筆者は平成二十五年八月四日の第六十二回伊勢神宮式年遷宮行事の「お白石持ち」に奉献した。

朱鳥四年(690)持統天皇の時に始まったこの民俗行事は、現在、日本の「選択文化財」に指定されており、世界に誇れる我が国の伝統文化の象徴的存在である。この式年遷宮行事は二十年に一度の神事であるが、戦国時代の九十九年間はやむなく中止された。江戸時代に再開され、次いで昭和四年(1929)の五十八回以後、第二次大戦の影響で五十九回目が昭和二十八年に延期され、平成二十五年まで千三百余年の間継続されてきたと聞く。

 さて、元禄二年の式年遷宮の詳細を知る事は出来ないが、芭蕉翁が『細道』の旅を終え、伊勢に向かった事だけは間違いないであろう。勿論、現在まで継承された神事と同じく、三二四年前も、『細道』の旅を終えた芭蕉翁は奉献なされた。
(内宮参拝が陽暦の十月二十二日、外宮は二十五日の参拝であった)

 次に、最終句の解説であるが、尾形 仂氏は「蛤が二見浦の名産であるから、それ(二見浦)を蛤の蓋と身を掛けて枕詞のごとく置いたのである(中略)[別れ行く]から[行く秋]と言いかけてそこに季を持たせてある」としている。さらに、「無事に『細道』の旅を終えて人々に迎えられたが、遷宮参拝のために二見浦へ別れ行くのは、丁度晩秋の物寂しさを感じる」と評釈している。どの諸説も、「ふたみは、【二見浦】と【二身(蛤の蓋と身)】の掛詩で、出迎えの親しい人々との別れの物寂しさを詠んでいる」とある。
 
しかし私見として、加筆を許されるならば、決死の長旅を終えて疲れ果てた自身と二見浦に向かう蘇生した我が身を「二身」と詠んだ晴れやかな気分がしてならない。
私にとっても、遷宮参拝は新たな門出に相応しい神事である。『細道』の旅の終わりが、蕉風俳諧師の新たな出発を謳歌しているかのようで、いかにも秋らしい奥深い名句の感がしてならない。

 それだけではない『細道』冒頭の発句行く春や鳥啼き魚の目は涙の評釈によれば、初案の「鮎の子の白魚送る別れかな」を『細道』本文染筆に際し、後で挿入された発句と解説されており、歌仙的構想のもと、冒頭の「行く春」と結びの「行く秋」の対句的構成は、なお一層の芸術性を高めていると、多くの国文学者が絶賛している。

 本書の始めにあたって、芭蕉翁同様に伊勢神宮式年遷宮の旅を体験できた事は、この上もない幸せであると同時に、翁の心情を些少とも共有できたことは何事にも変えがたい慶びである。
   行く夏に 村胆刻んで 遷宮路 
平成二十五年八月

コメント

松島芭蕉さん

2014年01月05日 15:35

コメントありがとうございました。
また、「お気に入り」に登録いただき恐縮です。
ところで最後の私見についてですが、加藤楸邨氏の見解によると、小生と同じ見解を書いています。『古典日本文学全集』昭和35年筑摩書房
「伊勢の遷宮を拝もうとしているのであるから、心の弾みもわく・・・別れる淋しさよりも二見に向かう気持ちのほうが勝っている」

更に、芭蕉は元禄元年にも京都に行く途中、伊勢参りを行っております。

☆夢っこ☆さん

2014年01月05日 12:27

昨日10時から、テレビで伊勢式年遷宮を見たところです。

20年に1度の神事〜すばらしい旅だったと思います。

自分は知らないことが多く、とても勉強になりました。

ありがとうございました。

手元の資料に、芭蕉は内宮の四季には間に合わず、外宮の式を拝した〜とありました。

ネットでですが・・・

芭蕉は元禄二年九月六日 伊勢の遷宮を拝するために大垣を出発。
到着したのは十一日で すでに前日に内宮の遷宮式は終わっており、芭蕉は十三日の外宮の遷宮式を拝しました。
そのとき詠んだ句が

尊さに みな押しあひぬ 御遷宮 (『泊船集』)です。

前書きに「内宮はことおさまりて 外宮の遷宮おがみはべりて」とあって、
神座を遷す行列が近づくと 参拝の群集が、少しでも前に出て近くで拝そうと 押し合いへし合いしている、その雑踏の中に芭蕉自身もいて 目前に見る神事の尊さと 群衆の明るいお祭り気分とを詠んでいます。
・・・・・・・・・・・・・・・
このようにありました。
・・・・・・・・・・・

〜決死の長旅を終えて疲れ果てた自身と二見浦に向かう蘇生した我が身を「二身」と詠んだ晴れやかな気分がしてならない〜

私見、すばらしいですね。
どうもありがとうございました。
勉強になりました。