催行中止 ☆ 地図にない“住所”城南五山を巡る旅(青葉・若葉に降り注ぐお日さまが とてもまぶしく感じられます・・・このエリアは)

このイベントは終了しました

催行中止 ☆ 地図にない“住所”城南五山を巡る旅(青葉・若葉に降り注ぐお日さまが とてもまぶしく感じられます・・・このエリアは)
開催日時:

開催場所:東京都品川区北品川4-7-36 地図を見る

このイベントは終了しました

コミュニティ 楽園広場
主催者
カテゴリ 日帰り観光
タグ
  • 東海道宿場町
  • 天下の名庭園
  • 城南5山
料金
  • 1200円
料金用途 ランチ代金
参加人数 12名
募集人数 12名 受付終了
最小催行人数 8名
対象 庭園散策等が好きな人
開催日時
開催場所 東京都品川区北品川4-7-36 地図を見る
募集期間
イベント内容 ☆ 地図にない“住所”城南五山を巡る旅(青葉・若葉に降り注ぐお日さまが とてもまぶしく感じられます・・・このエリアは)

2020年04月29日(水)祝日 11時20分
JR山手線目黒駅中央改札出口付近集合

一般枠     8名
初参加者等枠  2名
東京2020枠 2名

目黒駅から品川駅にかけての山手駅内側に、「御殿山」「八ツ山」「島津山」「池田山」「花房山」と呼ばれる五つの小山がある。城南五山と総称される山々だ。江戸の大名や明治の財閥・実業家に愛され、今も高級住宅街として輝きを放つ城南五山。その愛される理由を、のんびり歩いて探ってみよう。

「池田山」
閑静な住宅地にひっそりたたずむ大名庭園
かつて、広大な敷地を所有していた岡山藩池田家の下屋敷跡地に、都内に残る数少ない大名庭園のひとつ、池田山公園が現存する。この庭園は、江戸時代の大名が好んだ地泉回遊式で、池には湧水と三田用水が引き込まれていた。
小規模な窪地のスリバチ地形は、火山の噴火の灰が周囲に推積して層を作ったが、池の湧水部分には火山灰が推積せず、自然に形作られた地形といわれている。約20Mの高低差を生かした植栽や石組みなど、作庭家の美意識に富む庭園が造られた。

「御殿山」
鬱蒼とした茂みからよみがえった日本庭園
御殿山トラストシティにある御殿山庭園も、スリバチ状の美しい庭園だ。この辺りの敷地は以前、明治・大正時代の大実業家・原六三郎が所有しており、幕末の土取場跡の高低差を利用した庭園は当時から都内屈指の名園と評判も高かった。 昭和になりこの地に開発計画が持ち上がったときもこの緑地は残すように品川区から要請され、御殿山庭園として整備されたのである。 荒れ果てていたかつての庭園は再び、自然豊かな庭園となり、知る人ぞ知る都会のオアシスとして愛されている

「島津山」
公爵が考えた家族と暮らす洋館
JR五反田駅から徒歩10分ほどのところにある島津山は、台地の形が着物の袖ににていることから、古来、袖ヶ崎と呼ばれ、景勝地として知られていた。 江戸時代には、約130年間、仙台藩伊達家が下屋敷として使っていた場所でもある。 その敷地にイタリア・ルネサンス様式の洋館が姿を見せ、落成披露が行われたのは大正6(1917)年のこと。 館の主は、旧薩摩藩主・島津忠義の息子、忠重である。 忠重は父の死によって11歳で家督を継ぎ、20歳になった頃に洋館建設の話が持ち上がった。 周囲の者は、公爵邸にふさわしい館を建てるため、設計・施工監理を鹿鳴館やニコライ堂などを手がけた英国人建築家ジャサイア・コンドルに委嘱。
当初は大豪邸を計画していたらしい。しかし、途中で島津家から変更の依頼が入った。
若い忠重が、結婚した後に家族と暮らすことを想定した、”生活の場”として洋館を望んだからである。
関東大震災でも、揺らぐことのなかった旧島津家本邸。 そのエレガントな姿から想像も出来ない堅牢さは、卓越した建築技術の証である。 竣工から100年余。 女子大学生の学び舎となった今も、優美なたたずまいをみせる旧公爵邸は、令和元年12月、国の重要文化財に指定された。

「花房山」
森家の屋敷は低地に囲まれた舌状台地
城南5山のなかでも、一番北に位置する花房山には、江戸時代、播磨国三日月藩森家上屋敷があった。 古地図で森伊豆守と書かれている場所が、森家の敷地だ。 古地図で青緑色の部分は、百姓地。 つまり 森家の屋敷は低地に囲まれた台地だったと考えられる。 今は、 花房山通り沿いに、森家の上屋敷だったことを伝える看板があるのみだ。 ちなみに、一族には、本能寺の変で織田信長とともに討ち死にした森蘭丸もいる

「八ツ山」
品川宿最北端の緑豊かな丘陵
御殿山の北に位置する八ツ山は、品川宿の最北端にあった丘陵。 麓の海岸には、大きな船繋場があり、多くの旅客や往来者が利用したといわれる。 そんな八ツ山の森に包まれるようにたたずんでいたのが、初代総理大臣・伊藤博文の邸宅だ。 伊藤は近江水口藩加藤家の下屋敷だったこの家を買い取り、本邸とした。 江戸時代、八ツ山の土は普請などに使われ、今はほぼ平地となったが、伊藤博文邸があったこの辺りは緑深く、往時の八ツ山の雰囲気を残している 

JR目黒駅(歩き)→ランチ(歩き)→播磨国三日月藩森家上屋敷跡(品川区唯一の大名上屋敷がおかれた花房山)(歩き)→池田山公園(岡山藩池田家下屋敷後の池泉回遊式庭園)(歩き)→ねむの木の庭(正田邸の跡地)(歩き)→島津山(清泉女子大学などがある丘)(歩き)→雉子神社(3代将軍徳川家光が命名した「雉子ノ宮」)(歩き)→御殿山庭園(都会の中にある日本庭園)(歩き)→権現山公園(御殿山に連なる高台に位置する)(歩き)→品川神社(境内に富士塚「品川富士」がある)(歩き)→東海道宿場町散策(北品川)(歩き)→JR品川駅(解散予定)

参考URL
JR目黒駅構内図
https://www.jreast.co.jp/estation/stations/1552.html

新目黒茶屋(ランチ予定)
https://tabelog.com/tokyo/A1316/A131601/13052509/dtlmenu/lunch/

ねむの木の庭
https://shinagawa-kanko.or.jp/spot/nemunokinoniwa/

雉神社
https://powerspot-tours.com/travel/tokyo/4431

清泉女子大学
https://www.seisen-u.ac.jp/

品川神社
https://shinagawajinja.tokyo/

北品川宿場町
https://www.timesclub.jp/sp/tanomachi_ex/tokyo/kitashinagawa/001.html

御殿山公園
http://castle.sunnyday.jp/photo4/gotenyamakouen.html

参加者専用伝言板

公開伝言板

公開伝言板に書き込んだ内容は、すべての会員が見ることができます。参加者専用伝言板はイベント参加後にご利用になれます。

コメントはありません。