古文書古記録研究会3月例会

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古文書古記録研究会3月例会
開催日時:

開催場所:大分県国東市国東町鶴川1231 地図を見る

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コミュニティ 古文書硏究会
主催者
カテゴリ その他(セミナー・交流)
タグ
  • 歴史
  • 古文書
  • 古記録
料金
  • 1000円
料金用途 資料代
参加人数 1名
募集人数 30名 受付終了
最小催行人数 2名
対象
開催日時
開催場所 大分県国東市国東町鶴川1231 地図を見る
募集期間
イベント内容 古文書古記録研究会3月例会の日程が変更されました。

今月のみ、3月12日(第2月曜日)午前9時30分~11時50分まで。

☆ 研究課題
①史料による国東半島の歴史(008)前五〇〇〇年頃 海進と姫島産黒曜石
②享保6年7月 木付春碩『豊陽志』大友家年中行事の事①
③文化7年8月9日条 下岐部億太郎『諸御用品々日記』
その他

※史料による国東半島の歴史(008)〔梗概〕

前五〇〇〇年頃 海進と姫島産黒曜石

 前五〇〇〇年頃、列島の人々は、海岸線の内陸への移動(海進)に注目していた。

【史料1】和銅五年正月廿八日 太朝臣安萬侶序『古事記』上巻
然(しか)あれ雖(ドモ)、久美度迩(くみどに)〈此(コ)ノ四字は音(コゑ)を以(モち)ゐる。〉興(おコ)し而(て)生(う)みませる子(こ)は、水蛭子(ひるこ)。此(コ)ノ子(こ)者(は)葦船(あしぶね)に入(い)れ而(て)流(なが)し去(つ)。

水蛭子は、洪水神話と結びつくもので、手足の萎えた不具の子の意と解されている。

【参考A】岡田精司ほか「水蛭子」日本思想大系1古事記上巻補注
 兄と妹が結婚する型の始祖神話には、洪水神話と結びついて第一子に不具の子が生まれる話が付いており、中国南部から東南アジアに広く分布している。たとえば、台湾山地のアミ族の伝承では熱湯の洪水を逃れて生き残った兄妹が交ったところ、初めに蛇、次に蛙が生まれた。太陽神の教示によって白豚を供えて神祭りをしてはじめて人間を生むことができたという。このように近親相姦の結果として第一子に不具児を生むと語られるのが一般である。そこでこの場合も兄妹婚であるための結果とする説が有力である。ヒルコの解釈については諸説あるが、現存の記紀にみえる形からは、第一子を生み損じた説話であるから、ヒルのような姿の不具児とみるべきであろう。

【参考B】平成九年六月 大林太良ほか「インセストタブー(いんせすとたぶー)」『日本神話事典』大和書房
伏羲と女媧の兄妹婚によって生まれたものが人間の祖先となったと語る、中国南部から東南アジアに分布する洪水型神話も近親婚始祖伝承である。近親婚に類するものは、日本神話にもみられる。国土や神々をはじめとする万物を性交によって生み出したイザナキ・イザナミは、「青橿城根(あをかしきね)尊の子なり」という紀一書の記述によれば兄妹である。そのイザナキが黄泉の国で付いた身の穢れを除去しようとしてミソキを行ない、眼・鼻を洗ったときにアマテラス・ツクヨミ・スサノヲの三貴子が生まれ、アマテラスとスサノヲの姉弟のウケヒによって生まれたアメノオシホミミの子のホノニニギが天皇家の始祖となったという点に近親相姦的な関係を読み取る見解もある。船で無人島に流れ着いた兄と妹が夫婦となって子を生み、代を重ねて島に余るほどの子孫が繁栄したという『今昔物語集』『宇治拾遺物語』にみえる話も、近親婚始祖伝承である。インセストタブーが宇宙・人類・文化などの起源と結びついて語られることが多いのは、原初に存在した単一の神や物から万物が派生したという思考の反映として当然であり、その思考を端的に表すものは、一神から生まれた男女(兄妹・姉弟)が現在の人間の祖先となったという話であろう。

 前5000年以降、海底のみに海水増加の重荷の影響が表れるため、陸地側に上部マントル物質が流れ込み、内陸側に向かうほど数メートル隆起する。ハイドロアイソスタシーにともなって引き起こされるこの傾動運動により、前5000年頃の海岸線の位置は、海側では低く内陸では高かった。縄文海進は、前5000年頃の海岸線の内陸への移動を指すことが多い。
 この頃、海中温度の上昇が急激であった。
 本州以南の列島南部は、縄文時代前期には照葉樹林域に、北部は冷温帯の落葉広葉樹林域になり、この時点で現在まで続く森林植生の基本ができあがった(平成廿五年六月 辻誠一郎「縄文時代の年代と陸域の生態系史」)。鬼界カルデラの大噴火後、東日本と西日本に地域差が生じた。
 縄文時代前期になると、姫島産黒曜石の中継・加工の基地が出来ていたらしい。
 姫島産黒曜石は、石器石材として非常に有効なものとされ、この黒曜石をめざして多くの古代人が姫島に渡ってきたものと考えられる(平成2年3月 牧尾義則ほか『羽田遺跡(Ⅰ地区)』国東町文化財調査報告書第7集)という。
 姫島の黒曜石の搬出等の問題については、姫島に黒曜石の加工場があったとする説と、原石のままで黒曜石を運び出し姫島以外の地域で石器加工が実施されたとする説があるが、県内の姫島産黒曜石の遺跡での出土状態を見る限りでは、姫島以外の地域で石器加工が実施されたとする説が有力(同上)だという。
 先史時代の姫島島内の遺跡としては、縄文時代晩期の用作遺跡が知られているが、縄文時代前期の遺跡は発見されていない。島では、原石の採取が行われたとしても、石器製作は、島以外の場所で行われていたと考えられる。
 国東市東堅来の羽田遺跡は、露頭より採取した姫島産黒曜石を陸揚げし、加工して石器を製作すると共に、石器の材料となる石核や剥片などを、国東半島内陸部や別府湾周辺の遺跡との間で交易を行った中心的遺跡と言える(平成27年3月『新しい大分の考古学』大分県教育庁埋蔵文化財センター)という。
 羽田遺跡から出土した黒曜石は、12.5㎏(西日本最大)の原石をはじめ、総数約5000点に及び、その総重量は約80㎏と一般の遺跡の出土量を大きく凌駕し、古砂丘からは住居跡や石皿など居住に関わる遺構や遺物は希薄であり、黒曜石に関わる加工専用の場所であった可能性が高い(同上)という。

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