【公式】埼玉県コミュニティの楽しみ方♪
こんにちは!趣味人倶楽部運営事務局です。 今回は、「【公式】埼玉県コミュニティ」の楽しみ方をご紹介します! 〓☆〓☆〓☆〓☆〓☆〓☆〓☆〓 多彩な話題やコメント 〓☆〓☆〓☆〓☆〓☆〓☆〓☆〓 埼玉県に関する共通の話題や、日常の共有など、ご自由に投稿をしていた...
対象地域
参加人数
カテゴリ
埼玉県
300名
ニュース・その他
参加申請 | 誰でも参加可能 |
---|---|
管理人 | |
コミュニティ 紹介 |
【公式】埼玉県コミュニティにようこそ! |
コミュニティ 作成日 |
|
話題の作成 | コミュニティ参加者は可能 |
イベントの作成 | コミュニティ参加者は可能 |
検索タグ |
|
続きを読む
閉じる
こんにちは!趣味人倶楽部運営事務局です。 今回は、「【公式】埼玉県コミュニティ」の楽しみ方をご紹介します! 〓☆〓☆〓☆〓☆〓☆〓☆〓☆〓 多彩な話題やコメント 〓☆〓☆〓☆〓☆〓☆〓☆〓☆〓 埼玉県に関する共通の話題や、日常の共有など、ご自由に投稿をしていた...
開催日時
開催場所
埼玉県深谷市血洗島
参加者
10名/定員13名
コミュニティ
概要
埼玉の誇れる偉人渋沢栄一翁が新しい一万円の顔として7月に発行される。幼い時から論語を学び、基本として日本の近代化と経済の父とも呼ばれ、その功績は今日の日本の国家を支え続けています。渋沢栄一のアンドロイド2体が待っていますよ。 日時...
開催日時
開催場所
埼玉県寄居町
参加者
9名/定員10名
コミュニティ
概要
1590年(天正18) 北条氏邦の鉢形城へ、豊臣秀吉の小田原攻めの5万の軍勢が攻める中、3500の軍勢でこれを迎え撃つ、壮絶戦いを再現する「北条まつり」荒川の玉淀河原て繰り広げられる戦国絵巻を堪能してみては・・・・・。 日時 5月...
開催日時
開催場所
埼玉県加須市北川辺
参加者
4名/定員5名
コミュニティ
概要
広大な渡良瀬遊水地に存在し、旧谷中村があり、谷中湖を造るために立ち退いた村民たちの歴史も刻まれ、春先には野焼きも行われる遊水地のそばには、埼玉県・茨城県・栃木県の県境が交わるところがあります。全国にはこのようなところが数多く存在します...
もりさん
埼玉県の誇れる「見沼用水路」際の桜は、利根川の利根大堰から約70㌔に及ぶ用水路は、田んぼに水を入れる用水路ですが、今で桜「回廊」で知られています。
昔を思い、その歴史を知りることで先人たちが作り上げた「見沼田んぼ」の歴史に触れ、その数々の功績が今日の埼玉の基礎になっていることを知ることで。桜並木をかみしめながら歩くことの意味を感じ、この素晴らしい風景を構成にも残していかなければならないと感じた桜回廊散策イベントでした。
もりさん
郷土の偉人、新一万円札の顔としての渋沢栄一が深川・福住の邸宅のそばで「渋沢倉庫」を設立、その邸宅は渋沢もかかわった清水建設の創業者 清水喜助が作ったもので、創業者の建築物として渋沢の親権者が買入、青森・六戸町に移設されていたものを清水建設が買戻し、江東区潮見の清水建設研修センタ-内の公園内に移設され、社員の研修物として一般公開は当分しないそうだ。
創業の地から、重要文化財の永代橋際から、桜はまだツボミの越中島公園隅田テラス、相生橋中の島を経て、東京海洋大学越中島キャンパスの中にある「明治記念館」「明治丸」の展示物、今日は海洋大学OBの案内係のガイドを聞きながらの見学である。明治丸は日本列島の複雑な地形に灯台を設置し、その整備と調査のために日本政府がイギリスに建造を依頼し完成させたもので、明治天皇の「御召し船」として北海道・東北の巡幸の帰途は明治丸が使われている。
横浜港に着いたのが7月20日であったことから、1941年に『海の記念日』(現在は『』海の日)として制定されている。外国に依存していた造船技術が数年のうちに日本人の技術として確立し、先進的な船を作っていったかつての日本の歴史が読みがえさせる。島国日本は船がなければ外国との往来はできない。世界交易で海外とつながり、文化の交流を行う船の存在はなくてはならないものではある。
桜が咲かない深川桜まつりを背に越前仲町駅上の和菓子屋「岡満津」の桜餅を買いおやつに、帰りには、昭和感漂う喫茶店でのコ-ヒ-タイムは久しぶりで歴史から社会問題まで久々の会話・・・・こんな会話を交わす現在は余裕さえなく、他愛のない話で済んでしまうのが世の常、なんと悲しい時代になってしまった感があるが、こんな会話こそが必要な現代ではないのか、歩いて考え語り合う、そんな充実した一時を堪能した一日でした。
もりさん
「暑さ寒さも」彼岸までなんて昔の人は良く言ったもので、太田道灌、渋沢(尾高)平九郎、梅園で有名な越生の山から流れる越辺川、鴨川と合流し席が設けられ坂戸の田んぼを潤し、更に高麗川と合流し、川越の先で荒川と合流する。
八王子には日光東照宮を警備・管理する「千人同心」がおかれ、半年で交代が行われ、坂戸、松山、鴻巣、佐野への街道を「日光往還」「千人同心街道」「日光裏街道」などと呼ばれる。戦国時代が終わり、徳川家康が江戸に入府、家臣であった伊奈備前守忠次に命じ関東の治水、灌漑干拓工事を命じ、ひっ地帯であった関東を米がとれる地帯へと水路、堀、新田開発、河川の改修を行い、アイ、麻,炭焼き、養蚕、製塩などのすすめ、豊かな大地を今日に引き継いでいる。
北浅羽にも改修工事で堰が設けられ、数々の水路が作られ、農作物の収穫を可能にしていった。今も県内に残る「備前堀」は伊那氏の名前からなずけられている。そんな伊奈氏の功績は広く農民に受け入れられ「神様、仏様、伊奈様」と感謝と尊敬を受けた。そんな田んぼも工場や二ュ-タウンに変貌し、其の功績もわずかに越辺川の堰何かの縁か、の跡が見れる程度で、その越辺川沿いに三代伊奈半十郎忠治が館を築いた川口の関東群大「赤山陣屋」を拝した安行から「安行桜」がここに植えられたのも何かの縁を感じてならない。
関東の、この時期気象も変化が激しい季節、そんな中で3月中旬に桜が咲き誇る「北浅羽桜公園」は春が待ち遠しい埼玉県民にしてみれば、最も早い桜での春を感じる季節となりつつある。1200メ-トルの並木に約200本の「安行寒桜」が咲き誇る。そんな一日を堪能しました。
コメント 0