それは8月15日でなく8月11日であった。

8月11日上海の朝早く、27歳の堀田善衛は変なものを見た。青天白日旗が、ここにもあそこに掲げられていた。(『上海にて』ちくま学芸文庫97頁)

8月10日夜半、同盟通信社の海外向け放送が日本のポツダム宣言受諾を放送し、この放送を受信したモスクワ放送局が、海外向けの全電波を動員して放送し、これを受信した上海の抗日地下組織が直ちに動き出してビラを貼りだしたのだった。・・・・・

堀田善衛が見た、その一日前、蒋介石の8月10日の日記には・・・・落ち着き払った墨跡で・・
求精高校にある米軍本部からふいに歓声が聞こえ、爆竹が鳴った。何事か?と聞くと・・なにやら敵が