●悲劇の老中

彦根藩主の息子の一人として生まれ、兄の死を受け家督を継ぎ、第13代藩主となる。大老に就任して事実上の幕府最高権力者となり、将軍継嗣問題を解決、日米修好通商条約に調印し、安政の大獄により反対派を処罰した。彼の政治手腕は如何に評価されるべきであるか。後、後まで、尾を引いた不平等条約であるが、あの時に条約をむすばんば、米国は日本をせめたのであろうか。せめられれば、無条件に開港を何か所かにもうけねばならなかった。アメリカ主導の港ができたであろう。関税自主権を獲得するまでには、多くの困難がともなった。井伊 直弼(いい なおすけ)の当時の判断は日本の国力をかんがえる