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よくあるご質問

虹のエアポート

http://www.youtube.com/watch?v=7tQjQCONAn0

まさにこの時期フライトしてた化石スッチーです。
(同期がまだいるので”化石”、いなくなったら”神話”)
懐かしいやら嬉しいやら・・・寂しいやら・・・
この制服は、今も新品のまま小さな箱にしまってます。
制帽も制靴も。

15分ほどの長い動画ですが、お時間ございましたら、
ご覧くださいませ。
この時期一緒に働いていたグランドッスタッフや乗員は、
どうしてるんでしょう・・・

コメント

おおぞらさん

2013年09月04日 23:40

そうでしたね。滑走路番号の数字の1違いと勘違いしていました。

(330度→340度、150→160)

ダイナミックな写真ですね。とても良く撮れていますね!

ひまとさん

2013年09月04日 22:21

おおぞらさん
当時はBランから、ジャンボもトライスターも離陸していました。
300mしか離れていないので迫力が有りましたね。
(ゆきさんのトピを借りているのでL-1011を贈ります)
まだ新ターミナルは建設中で国内線はジャンボと言えどボーディングタラップを使用していましたね。
それから滑走路の角度は1度じゃなく10度の間違いでした。

おおぞらさん

2013年09月04日 21:21

ひとまさん

そのとうりですね。確か延長の時、1度南・北寄りに変わり16R/34L・16L/34Rになりましたね。

夜勤明けでよく羽田東急ホテルのプールで泳いだものです。

懐かしい写真ありがとうございます! B−747が並ぶ上空をANKのYS−11がRWY04からの離陸上昇?(フラップの角度から見て)

とてもいい映像です。

ひまとさん

2013年09月04日 17:46

おおぞらさん
ACランは現在より1度南北寄りだったのですね。
20年前の羽田空港です。
正面は旧羽田東急ホテルで、この時にはANAはL-1011とB747を併用して運行していましたね。
当時のBランは運河間近に有りましたから京浜島からすぐ目の前でした。

おおぞらさん

2013年09月04日 16:59

ひとまさん、おっしゃるとり、以前羽田空港にはA・B・Cの三本の滑走路がありましたが、15/33のA・CのうちA滑走路を駐機場に使われるようになり(昭和52年ごろ)C滑走路と横風用のB滑走路(04/22)の2本になりました。

現在の東京国際空港は、旧C滑走路の隣に平行滑走路3000mが併設され、さらに南東側に横風用の滑走路2500mを設置され、4本で運用されているようです。

カラオケで「羽田発7時50分」を歌うと、旧羽田ターミナルが移り懐かしさでいっぱいです。

ゆきさん

2013年09月04日 13:05

みなとさん*私が何故合格したか・・・未だに不思議です(同窓生談)一番出来が悪い子だった!
真っ黒けで化粧の「け」の字も判らない農家の娘でした。受けなきゃ通らんと思いました。

ひまとさん*その方は同期か前後の方でしょう。便乗で乗ってたんですね。あの帽子、手元に持ってます。ゴルフにいらっしゃるお客様に欲しい欲しいとよく言われました。私は還暦までもう少しあるので、先輩か年上の後輩でしょう。

リトルケンさん*私も空自のパイロットになりたくて基地に行って頭を下げましたが、「あかん!」と一蹴されました。昔は男尊女卑が当たり前だったので(反発してましたが)女を乗せると汚れるといわれました。かく言う貴方様も女から生まれたんでしょう!といいましたが、無理は無理でした。ご自分で操縦されるなんて羨ましくてたまりません!!操縦は、せいぜい夫だけ?(爆)

おおぞらさん*奇跡のような方ですね!あのDVDをお持ちとは・・・すごいです!
パイロットの女房は、コーパイだと思ってたので、今更ですが、そうだったんですね。
知りませんでした。ディスパッチさんだったんですか。懐かしいです。いまでも、ディスパッチルーム独特の緊張感と打ち合わせの雰囲気を覚えています。

帆走子さん*本当に・・・・アメリカにある機体置き場を見るたびに、悲しくて泣きます。
トライスターは、一時ハワイアンエアーが使っていました。Honoruruで夫が、あれはANAのだった!と言ったとき、買って帰って飾りたいくらいでした(何を考えてるんや!!)
cabinの下にあるgalleyが大好きでした。担当になると一人でお茶や軽食(昔は出てた)お菓子、コーヒーなどを準備してリフトで上げてました。それから配膳終わって降りてくるまで、小窓から見える雲の絨毯を見てました。視界が好いとまるですべてが自分のもののように感じて、
スッチーになって(今じゃ茶瓶アテンダントと言いますが・・・)良かったーーー!と感動したものです。仕事しやすいshipでした。

みそら農協さん*ANAの1期生は、まったく存じ上げません。そうですねぇ・・・38期??くらいの方がいらしたような?50期〜70期が多くいました。今は「期」は存在しません。
しかし、老婆心から言いたいのは「自分のフライトルートの要所や景色の名称、高度くらいは、
ちゃんと勉強して欲しいです」私もうるさい小姑になったようです。苦笑
でも今のCAさんたちは、やることが多すぎます。ドメスでお金まで扱ってますもん!ハハハ

みそらさん

2013年09月03日 10:51

私が現役時代に知り合った方はANAの広報担当で、スチュワーデス1期生だとのことでした。リタイヤされてから新橋にある婦人航空連盟の会長をされていました。
もしかしたらこの方をご存じなのではありませんか?

帆走子さん

2013年09月03日 10:04

ゆきさんはANAの華のスチュワーデスさんでしたか。
ロッキードL-1011トライスター、通称テンイレブン。懐かしい飛行機ですね。
同じ3発機でライバルのダグラスDC-10は、巡航中3度ノーズアップなので、デスさん達には不評でした。その点エルテンは使い勝手が良く、クルーにもグランドスタッフにも好評でした。
良い飛行機だったのに、政治の道具に利用され、旅客機としては短命に終わりました。
DC-10は事故多発で、名門ダグラス社の寿命を縮めたようです。
飛行機の生涯も、なんだか人生と似てますね。

おおぞらさん

2013年09月02日 21:59

「虹のエアーポート」全巻DVDで持っています。

一昨年、トライスターリタイアー時の記念の帽子を被って蔵王温泉スキー場へスキーに行き、リフト乗り場の近くのペンション「ぼくの家」に泊まった時、女将さんが私の帽子を見て”Pilotですか”と問われ、”いいえ、PILOTの女房です”と答えたら、”ディスパッチさんですか”と言われ、びっくり。

伺ったら、”私もトライスターに乗っていました”とのことで、ひょっとしたら、ゆきさんと一緒に乗務したことがあるかもしれませんね?

来年、もう一度「ぼくの家」に行って見ます。

リトルケンさん

2013年09月02日 13:36

拙者も戦闘機のパイロットのなりたかったのですが、決断が付かずに車両設計の道を歩みました。

仕事を早めに卒業した52才の時、兼ねて保留になっていた軽飛行機の免許を取得しました。

戦闘機に拘っておりましたので中国のCJ6と言うWW2のプロペラ練習機に近い飛行機で訓練を受けました。

その後いろいろな飛行機に乗りました。本当は本物の戦闘機に乗りたかったのですが、費用の点でその2〜3クラス下の練習機で妥協しました。

一昨年はジェット練習機のL39アルバトロスに乗る事が出来ました。
30分で2000ドル、この辺が私の限界です。

ひまとさん

2013年09月01日 23:05

制服で思い出が。
まだトライスターの導入前、羽田は現在のAランのところにCランがあったような気がします。
京浜島上で左旋回してCランに降りるのですが、風が強く凄く傾くのでひじ掛けをしっかり握っていたら隣の席にいた女性に「大丈夫ですよ」と言われたことがありました。
話をしていたらその人はスタンバイのデスさんで東京泊りとのこと。
その時持っていた帽子がトライスター導入時に採用されるものでした。
もう、還暦を過ぎておられることでしょう。

みなとさん

2013年09月01日 23:05

ゆきさん
子供の頃からの夢が叶ったってわけですね〜!凄いですね!羨ましいと同時に尊敬します。
そう、当時パイロットになるための身体条件は厳しかったですよね〜。
僕の場合は航大を目指す筈だったのに、高校時代に遊び過ぎて学力が伴わなく断念ですw
ご主人様も全日空なんですね!もしかしてパイロット?いいなあいいなあ。(^O^)
理想的なカップルですね!これまた羨ましいです(^^)
写真はB4のコックピットですね。ご主人様が操縦してたのでしょうか?
僕もあのまま頑張っていれば、今頃はこの左座席に座ってたかも。。。^m^

ゆきさん

2013年09月01日 22:40

みなとさん、嬉しいコメントありがとうございました。
私は、小学校低学年の頃からスチュワーデスになろうと決めていました。
祖父が議員をしていたので、しょっちゅう飛行機を使っていて「今日のスチュワーデスさんは、
美人だったとか優しかったとかマナーが素晴らしく良かったとか聞かされてました。
私が入社したのは昭和49年で沖縄が返還されてすぐでした。
泊まりに行けばタクシーは左ハンドルで右側通行、ドルでの買い物も出来る店がありました。
夫も空と医者に憧れ、医者は断念して防衛大学とANAに合格して、ANAを選んだそうです。
昔のパイロットは身体条件が厳しく、眼鏡ダメ、慎重162以上、デブダメ、三半規管の異常ダメ、
勿論内蔵、骨の異常ダメ、顔は不細工でもOK!!でした(爆)
入社した当時、独身のパイロットは少なく、顔を妥協するしか・・・苦笑
かく言う私は、超がつくデブだった(入社試験後、合格で太った!)ので、
割れ鍋に綴じ蓋だったと・・・(夫に内緒)
ま、中身は超がつくほど優秀だったので(夫だけ)良かったです・・・拾って!!

みなとさん

2013年09月01日 22:22

ゆきさん
この当時に現役でフライトしてたんですね〜!!
30歳定年とは早過ぎですね。今では考えられませんね。
僕は「白い滑走路」でパイロットに憧れ、「虹の・・・」でパイロットを目指しましたが、
途中で断念しちゃいました。(T_T)
僕の記憶では、この番組の再放送は未だかつてないですよね〜?
それが残念で仕方ありません。

ゆきさん

2013年09月01日 21:08

みなとさん、夫に訊いたら、私が二十歳くらいの時でした。
撮影の最中にフライトしてました(笑)
当時ようやく結婚退職制が撤廃されました。
妊娠したら退職でしたし、30歳定年でした。

みなとさん

2013年09月01日 20:57

懐かしいですね〜。
この番組は夢中になって見ていました。
当時はまだ中学生だったなあ。

ゆきさん

2013年09月01日 15:12

みそら農協さん、私のお客様だったかも(苦笑)
小松は好きでした!戦闘機見られたから!!

ひまとさん、トライスター導入時にこれに変わったんですが、
私も逆さT字の制服を着てました・・・超ミニワンピ!!

ひまとさん

2013年09月01日 13:25

トライスター時代の制服はミニで逆T字をイメージした服じゃなかったですかね。

みそらさん

2013年09月01日 13:04

トライスター、懐かしいですね。
金沢に転勤で行っていた頃小松ー羽田間を何度も乗りました。
当時はモノクラスでしたので、早めにカウンターに行くとトライスターのビジネスクラスのシート(幅が広くてひじ掛けも幅広)に座れました。