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よくあるご質問

京都愛宕社の神主が幕末の廃仏毀釈のときにお役所に提出した嘆願口上書の下書き。

偶然手に入れた古文書を読み解きたくて、その釈文を作ろうと頑張っておりますが、独力では壁にぶつかっておりまして、皆様のお力をお借りしたく存じます。

京都の愛宕社は、明智光秀が本能寺へ攻め込む数日前に、参篭し、有名な愛宕百韻を、西ノ坊威徳院の庵主、行祐法印が亭主となって催し、また、その時に光秀が信長討伐を祈願した勝軍地蔵があったことで、知られております。幕末維新に吹き荒れた廃仏毀釈の荒波によって、愛宕山にあった5つの僧坊は、この西ノ坊威徳院を含めてすべて破却され、この霊験あらたかな勝軍地蔵は、ふもとの金蔵寺へ移されてしまい、今は金蔵寺に祀られています。

そんな歴史を持つ愛宕社の累代の神主に幕末維新まで就いていた氏族が5つあり、そのうちのひとつであった藤木家にあって、富岡八幡宮骨董市で売られていた古文書の束があり、そのなかに、この廃仏毀釈の際に、愛宕社の神主一族が結束してお役所に、愛宕社存続のために提出した嘆願口上書の下書きが大量に、この古文書束の中に入っておりました。

そのなかで最も古い年次で、また下書きとしての体裁が整っているのが、この古文書です。

とても興味深いので、釈文にしようと頑張っているものの、浅学の身では限界を感じておりまして、このコミュの皆様のお力添えをお願いする次第です。

本文は全部で32行あり、それぞれに(1)(2)(3)のように、何行目か分かるように数字を冒頭に振っております。〇印は判明できない文字ですが、それ以外にも、あやふやなままに書き込んだ文字がたくさんありますので、どうぞご遠慮なくすべての文字を対象にして、間違えている箇所を指摘してください。

なお、このときの神主一族であった5つの姓の方々は、当時は、愛宕社と野宮社、それに地元のいくつかの神社の神主を兼務していたのですが、いまは神主ではなく、愛宕山のふもとの叡山電鉄鞍馬線の木野駅周辺にまとまって住み、木野にある木野愛宕神社の氏子をされています。

本文は長文なので、写真は数枚に分けて掲出いたします。また本文には三か所に付箋が貼られているので、釈文中に付箋の位置と、付箋に書かれている釈文を末尾に記しております。

お手数ですが、お力をお貸しくださいますよう、お願いたします。

(注)以下の釈文(案)は、2014年7月17日のもの(完成後一部修正版)

(1)乍恐奉歎願口上書
(2)城州葛野郡愛宕山社之儀者
(3)火産霊神亦名軻遇突智命
(4)伊弉册大神右二柱奉齋私共神主二而
(5)野宮両社兼帯致 神務無懈怠崇敬仕来候
(6)然二中興坊舎御取建二相成候二付僧侶繁栄致
(7)神主共衰微仕不堪悲嘆候得共御取建之坊舎故
(8)今日二至屈身仕候然とも神祭之義ハ往古ゟ只今至
(9)候而茂僧侶者不罷出神主斗二而相勤来候且又
(10)例月数度神主共社参仕候遷宮之儀ハ往古より神主共
(11)相勤来候近来二而茂元禄三午年享保三午年八月
   (注)歴史的には「享保十一午年八月」か。
(12)十一日遷宮相勤其後文化十酉年八月遷宮義ハ
(13)不得止義二付出勤不仕候天保七申年十一月廿一日
(14)遷宮之儀十九日晩方二通達有之候得共潔齋不仕
(15)且又諸般難調候二付是又不得止延引仕其後
(16)(★1附箋あり)度々遷宮勤度義申出候得共坊舎彼是と差支
(17)申立候ニ付不得止等閑ニ相成候所司代両奉行とも
(18)愛宕山社野宮両社神主と唱御目見仕来候
(19)今般
(20)大政御一新二付神佛合躰之儀ハ御差留二
(21)相成候御次第柄
(22)御布告二相成奉敬承候就而ハ右愛宕社
(23)之儀者前件申上候通両部習合之社柄ニ候間
(24)(★2附箋あり)御神体並二佛器類取除之義差當深心配仕
(25)罷在候間乍恐此段御尊慮御推察被下置
(26)何卒古来之通被為 仰付被下置候様奉願上候
(27)(★3附箋あり)就而ハ住僧共復俗被仰付候共私共之下席二
(28)相成候様奉願上候 無左候而者往昔之由緒二モ相
(29)違仕且者當時之
(30)御趣意二茂奉背候様奉存候付何卒格別之御
(31)憐愍ヲ以御聞済被為 成下候ハヽ廣大之
(32)御慈悲重〃難有 仕合可奉存候 以上
愛宕社神主
惣代
椹木丸大夫
藤木仁大夫
藤木彦大夫
藤本孫大夫
藤木紋大夫
慶應四年
 辰四月廿七日
辨事傳達
  御役所

≪途中添付の附箋≫
(★1附箋)
社僧共復飾之上神職相勤候者
已後相和し神勤可仕事

(★2附箋)
佛像佛器之類早〃取除
可申事

(★3附箋)
社僧共復飾之上神職相願
候上者席次之義先過日
御布告之通可相心得事

コメント

うたくんさん

2014年07月17日 13:01

1月30日付けで訂正追加をしてくださっているのを永らく見落としており、さきほど気が付きました。まことに申し訳ございません。で、この訂正4か所も、冒頭の釈文に反映しました。重ねてお詫びとお礼を申し上げます。

Qミん君さん

2014年01月30日 08:58

誤植を見落としていたところがありますので、訂正の追加を致します。

(6)行目 僧侶繁栄候→僧侶繁栄致

(7)行目 不堪愁歎候得共御永建之坊舎→不堪悲嘆候得共御取建之坊舎

(23)行目 両部習合之社柄ニ候而→両部習合之社柄ニ候間

(31)行目 憐憫ヲ以→憐愍ヲ以

うたくんさん

2013年10月03日 10:37

そうでしたか、やっとわかりました。この行がもっとも難関でした。。
冒頭の4文字など、いくらにらんでいても、とても、「罷在候間」とは読めませんでした。

これで全文が釈文で読めるかたちになりましたので、全文通しでじっくり味わってみようと思います。たいへんお手間をおかけしたことと、お骨折りに厚くお礼申し上げます。

おかげさまで少しだけ古文書に抵抗感が少なくなってきましたので、ほかの古文書もひも解いてみようと思います。この古文書の日付、慶應四年から続けて、いくつもの内容が少しずつ異なる嘆願口上書の下書きが何通もありますのと、それら嘆願の結果として、京都府からの最終回答らしきものもあります。〜「京都御政府より御達書の写」 また行き詰ったときに、このコミュでお伺いしたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。重ねて、たいへんありがとうございました。

Qミん君さん

2013年10月02日 19:19

25行目 

罷在候間乍恐此段御尊慮御推察被下置

うたくんさん

2013年10月02日 19:02

付箋2、付箋3についても理解できました。
こうして教えていただきながら、やはり、「前後の脈絡から文字の想像をする」こと以外に、場数を踏んで、「当時の文体に馴れる」ことが必要と思いました。

ここで全般を読み返してみますと、(25)行目の前半部分が未完になっておりまして、「乍恐」の部分はこれまでに教えていただいたことから推測がつくものの、この前半部分についてお伺いいたします。お手間をとらせて申し訳ございません。

Qミん君さん

2013年10月02日 08:32

付箋3

社僧共復飾之上神職相願

候上者席次之義先過日

御布告之通可相心得事

Qミん君さん

2013年09月30日 21:15

付箋2

佛像佛器之類早〃取除
可申事

うたくんさん

2013年09月30日 09:27

了解しました。なるほど、こうなっていたのか・・と改めて思います。。ありがとうございます。

Qミん君さん

2013年09月29日 19:36

付箋1

社僧共復飾之上神職相勤候者

已後相和し神勤可仕事

うたくんさん

2013年09月27日 21:07

最初の写真は全体を写した一枚ものですが、それを拡大してもぼやけてしまうと思いますので、ご利用なさる場合は、二枚目の写真から、六枚目の写真までの合計5枚をお使いいただくと、それぞれが読めると思います。お手数ですが、5枚に分割した方をご利用になってください。。

ひかりちゃんさん

2013年09月27日 20:43

原稿をコピーして拡大したらぼやけて、な〜んにもわかりません(^^)

うたくんさん

2013年09月27日 18:16

26行目 為 仰付被下置候様・・・・・了解しました。何度にらんでも分からなかった箇所です。

28行目 相成候様奉願上候 無左候而者・・・・了解しました。完全にお手上げだった箇所です。

30行目 奉背候様奉存候・・・・了解しました。

31行目 御聞済被為 成下候ハヽ廣大之・・・了解しました。これも完全お手上げだった箇所です。

32行目 御慈悲重〃難有 仕合・・・・「重〃」でしたか、ありがとうございます。

後ろの方に特に難問が並んでおりました。たいへんありがとうございます。冒頭の釈文(案)をご指摘に沿って修正いたします。

Qミん君さん

2013年09月27日 13:49

26行目 為 仰付被下置候様

28行目 相成候様奉願上候 無左候而者

30行目 奉背候様奉存候

31行目 御聞済被為 成下候ハヽ廣大之

32行目 御慈悲重〃難有 仕合

うたくんさん

2013年09月27日 12:57

20行目 大政御一新    合躰之儀ハ・・・了解しました。単純ミスも恥ずかしいです。

22行目 奉敬承候・・・「承」でしたか。了解しました。

23行目 之儀者前件申上・・・了解しました。

25行目 御推察被下置・・・「置」でしたか、了解しました。

ご指摘をいただくと、すっとアタマに入るのに、うなっているときはちっとも文字が出てきません。ありがとうございました。このように釈文(案)を修正いたします。

Qミん君さん

2013年09月27日 11:00

20行目 大政御一新    合躰之儀ハ

22行目 奉敬承候

23行目 之儀者前件申上

25行目 御推察被下置

うたくんさん

2013年09月26日 08:27

2行目・・・了解しました。「儀」のこんなくずし方があるのですね。。
5行目・・・了解しました。
9行目・・・了解しました。「候而茂」だったのですね。。
10・11行目・・・了解しました。
11行目・・・了解しました。「子」ではなくて「午」でしたか。午の年は享保11年になるので、享保三年は筆記者の間違いで、「享保十一午年八月」となるわけですね。。 釈文はひとまず「享保三午年八月」としておき、(注)で、「歴史的には、享保十一午年八月か」とメモしておこうと思います。
12行目・・・了解しました。
15行目・・・自分の間違いについ笑ってしまいました。「且又諸般」を了解しました。
17行目・・・「米」ではなくて「閑」でしたか。了解しました。
17行目末・・・了解しました。

こってり見てくださいまして、ありがとうございます。目からうろこの箇所が多々あり、とても勉強になります。これに沿って、冒頭の釈文(案)を手直しいたします。

Qミん君さん

2013年09月25日 14:10

11行目 「享保三午年八月」 ※但し、これは、歴史的には、「享保十一午年八月」かと思います。

12行目 相務は「相勤」

15行目 且又禮服は、「且又諸般」

16行目 「坊舎彼是と差支」

17行目 不得止等米ニ相成は、「不得止等閑ニ相成」

17行目末は、「所司代両奉行とも」。

Qミん君さん

2013年09月25日 13:57

2行目末は、「愛宕山社之儀者」。

5行目 「兼帶致 神務」

9行目 カメラの日付と重なっていて良くわからないのですが、「候而茂僧侶者」とみたのですが、いかがでしょうか。なお、その下の「務」は、「勤」。

10行目 「神主共社参仕候」   「往古より神主共」

11行目 務は「勤」。

うたくんさん

2013年09月24日 19:23

わたしこそ、とてもいいコミュを知りました。

腕組みして、にらんで、うなっていても、どうしても思いつかない文字がありますけど、それを教えていただけるのはうれしいです。。

なお、このときの神主さんの子孫の方々が、京都の叡山電鉄木野駅の北側にまとまって住んでいます。駅の北側に立っていた案内板の一部です。同じ苗字が多いのに気が付きますが、この古文書に出てくる神主さんたちの姓と同じです。

ひかりちゃんさん

2013年09月24日 11:48

さすが! 
Qミン君さんですね(^^)

コピーしたので拡大して少し読んでましょう。

時間はかかると思いますが、私のテキストと思って・・・うたくんさん ありがとうございます。