京都愛宕社の神主が幕末の廃仏毀釈のときにお役所に提出した嘆願口上書の下書き。

偶然手に入れた古文書を読み解きたくて、その釈文を作ろうと頑張っておりますが、独力では壁にぶつかっておりまして、皆様のお力をお借りしたく存じます。

京都の愛宕社は、明智光秀が本能寺へ攻め込む数日前に、参篭し、有名な愛宕百韻を、西ノ坊威徳院の庵主、行祐法印が亭主となって催し、また、その時に光秀が信長討伐を祈願した勝軍地蔵があったことで、知られております。幕末維新に吹き荒れた廃仏毀釈の荒波によって、愛宕山にあった5つの僧坊は、この西ノ坊威徳院を含めてすべて破却され、この霊験あらたかな勝軍地蔵は、ふもとの金蔵寺へ移されてしまい、今は金蔵寺に祀られています。