「享保十歳巳五月十日 野々宮神領山年貢覚」

先だっては、
★「愛宕社西ノ坊威徳院の僧、行祐から浅野長政に宛てた手紙の下書き」
★「京都愛宕社の神主が幕末の廃仏毀釈のときにお役所に提出した嘆願口上書の下書き」
の難読箇所を教えていただき、ありがとうございました。

上記は、明治維新まで愛宕社・野々宮社の神主をしていたお宅から出た古文書ですが、同じ古文書箱に入っていた別の史料(標題)についてお伺いいたします。

明智光秀が本能寺へ攻め込む数日前に、山城国葛野郡愛宕社西ノ坊威徳院において愛宕百韻を詠んだことが知られていますが、当時の愛宕社は僧坊ごと神職がおり、光秀は西ノ坊威徳院をひいきにしていたようです