1-5 印綬と紫綬

後漢書 「建武中元二年倭奴国奉貢朝賀使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」

翰苑 「中元之際紫綬之栄」

大谷光男氏は、紫綬だから印綬は金印であると主張されている。

翰苑は、六六○年張楚金が著し,雍公叡が注を付けた。
後漢書は唐時代には多数あり雍公叡も注を付けているが、「金印」の文字はなく、有るのは翰苑だけである。

翰苑は、詩賦(しふ)であり、対句で表わされることが多く、
美化されていて文学性はあっても記録としては低くなる。

それに漢委奴国王は封泥であり、正式な国王印ではない可能性もある。