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よくあるご質問

イジメを、止めよう!政治家が範を示せ!…素浪人の『万葉集漫談』(137)

(137) 大伴の 御津(みつ)の松原 かき掃きて
         我れ立ち待たむ 早帰りませ
         巻五・895  山上憶良  733年   
大意: 大伴の御津の松原(摂津の港一帯)を掃き清めてお待ちしています きっと、早くお帰り遊ばせ。

(137’) 難波津に み船泊(は)てぬと 聞こえば
         紐解き放(さ)けて 立ち走りせむ 
            巻五・896  山上憶良  
大意: 難波津に貴男の乗った船が着いたと知ったら、もう、帯紐を解き放って、真っ先にお迎えに上がりますわ。

解説: 憶良の「好去好来」(行き帰りの無事を祈る)の歌として知られる、長歌に続く短歌2首です。この733年には、4隻で構成した第9次遣唐使節団が派遣されます。先進中国(唐)の仏教、文化、政治制度を盛んに学んだ時代でした。木造の小船に150人ほど載せての船旅。航海技術も低く暴風雨に遭難し多くの船が沈没する、苦難の旅でした。
現代に煌めく天平文化も後々の優雅な日本文化として花を咲かせる平安文化も、この時代の先人たちの営々とした努力と、多くの悲話の蓄積の結果です。

この後、憶良は沈痾(あ)自哀文、俗道悲嘆の詩、古日を恋ふ歌などがあり、大変な長文なので省きますが、この古代に、自然と共存するために禁猟日の必要性を説き、五月の蝿のように騒ぐ子らも大切にしたいと、自らの重病を嘆くのです。時に74歳。

(137’’) 若ければ 道行き知らじ 賄(まひ)はせむ
       黄泉(したへ)の使 負ひて通らせ
          巻五・905   山上憶良 
大意: (古日は)まだ稚い子で、黄泉の世界へのゆく道も知りません。どうぞ、お迎えに来た使者のあなたが負ぶって連れて行って下さいな お礼はたんといたします。

解説: 死亡した幼子の古日は、憶良の高齢を考えると我が子ではなく、その親の身になって詠ったものと思われます。

そして、この憶良の死をもって、万葉の時代区分は第3期(多彩な歌人がそれぞれの個性で、文学性の価値の高い歌を詠んだ)を終えることになります。

憶良の哲学や思想を読み解くとき、その根底には深い「愛」が脈々として流れており、建設的で、胸をうたれます。
それに比べ、現今の国会論議を見ていると、与党や内閣のミスを徹底的に攻め、過去に自らが犯し作ってきた遠因で直面している国難であることへの反省もない、野党議員の低劣で無様な発言にうんざりすることです。
小中学生のイジメ問題が深刻ですが、国会議員の殺伐たる相手イジメが、大きな見本となり、その誘因の一つであることも自覚すべきではないか。民主党の野党時代の戦法だし、その点では、政治家全体の資質の問題ともいうべきでしょうか…。
 
(137’’’) 振り放(さ)けて 三日月みれば 一目見し 
       人の眉引き 思ほゆるかも
       巻六・994 大伴家持(おおとものやかもち)
大意: 高空を仰ぐと美しい三日月。その三日月のように美しくひかれた眉をもつあの女性が、忘れられないことです。

解説: 家持の始めての歌です。父の旅人が亡くなって、大伴の大豪族の首領となっての登場です。16歳でした。相手は紀女郎(きのいらつめ)とも、笠女郎(かさのいらつめ)とも、後に妻となる大伴大嬢(おおとめ)とも言います。


昨日、日本橋高島屋で開催中の「東大寺の名品展」を見たのですが途中の山手線の車両の中で、化粧する若い女性と対き合う羽目になりました。頻りと小さな刷毛で眉を引き口紅を引いていました。ロマンのない世界で興ざめでしたが、家持の歌で若返ることにして目を閉じ、初恋や、若く過ぎた日々の恋のことなど想い巡らしたことです。おっと、これは余談です…(笑)。

カテゴリ:ニュース・その他

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