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よくあるご質問

纏向遺跡フォーラム

読売新聞主催、桜井市後援の纏向遺跡フォーラムが本日有楽町のよみうりホールで開催された。
纏向遺跡は邪馬台国との熱心な信者で、俳優であり日本考古学会員でもある刈谷俊介氏の初めの言葉を皮切りに、
発掘担当者である桜井市教育委員会文化財課係長橋本輝彦氏の大型建物調査報告。
國學院大學教授鈴木靖民氏の「倭国の祭祀・祭祀空間」についての基調講演。
大阪府立近つ飛鳥博物館館長白石太一郎氏の「考古学から見た邪馬台国と初期ヤマト政権」についての基調講演。
上記4名の方々をパネラーとする邪馬台国からヤマト政権へと題するディスカッション。
があった。
10時から昼食休憩1時間を挟んで16時まで、参加者千名が熱心に聴いていた。ただし午後は空席もちらほら。
調査報告については既に新聞等で報道されている通りで、特に目新しい物は無いが、
四つの大型建物の中心線の軸線が揃っているものは他に例を見ないもので、まさに宮殿と看做される。
桜井市長は遺跡の保存と、観光の目玉として、建物の復元建設を訴えていた。
遺跡の広さは唐子鍵は勿論、吉野ヶ里より大きいということだから、大変な金がかかるだろう。
何れの論旨も、神話から導き出そうとする邪馬台国九州説は現在の考古学的見地からは無理で、未発掘資料に期待する
夢を追うものと言うことになる。
前方後円墳は岡山を初め全国的に築造されているが、最大級の古墳がヤマトに造られるようになったことが、ヤマト政権の成立を意味するという。
鉄器の問題も九州は立地的に輸入が容易であった為、保存廃棄が多かったので出土が多いが、鉄を産出しないことから、
再利用度が高かった為、関西方面には鉄器の出土が少ないと考えられ、鉄器出土の多寡のみで優劣はつけられないとされる。
三角縁神獣鏡の編年からも、3世紀半ばにはヤマトで古墳は造られたと考えられる。

この中で、狗奴国は邪馬台国連合に破れ、吸収されてより大きな連合体からヤマト政権が樹立されたとしているが、
狗奴国は天竜川以東にあり、邪馬台国同様に連合していたとしている。
これは、前方後方墳の分布から導き出されるらしいが、常識的に考えて、金属武器の入手がより困難と考えられることから、
魏に調停を求めるほど、対応に手こずることもないようにも思われる。
それと今のところ、吉野ヶ里遺跡のように、生々しい戦いの痕も見つけられていない。
更に、記紀に書かれている日本武尊の東征は卑弥呼の時代より後の景行天皇の頃とされており、崇神天皇の時の四道将軍の
派遣もありヤマト政権は不安定な状況に置かれている風であり、天竜川以東の国々が邪馬台国連合の傘下に入ったのは、
もう少し時代が下るのではないか。この辺の説明をもう少し聞きたい。
但し、時代の前後はともかく、建御名方神が諏訪に祀られ、建御雷神が鹿島に祭られていることもあるので、これらをどう考えるかと言うこともある。
鈴木靖民氏は隋書に記されている邪馬台は倭であることを引き合いに出され、「ヤマト」と呼ぶのが妥当であるとの見解を出されているが、私もそう思う。

カテゴリ:ニュース・その他

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