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よくあるご質問

素浪人の『万葉集漫談』(139)

(139) 織女(たなばた)し 船乗りすらし 真澄(まそ)鏡
       清き月(つく)夜に 雲立ちわたる
           巻十七・3,900 大伴家持
大意・ 今しも、織女が船に乗ろうとしてるのしょうか。澄みきった鏡のように清らかな月夜を雲が立ち渡っています。

解説・ いよいよ天平10年(738)です。藤原氏に抑え込まれていた大伴氏も、橘諸兄がこの年1月に右大臣になり、ようやく愁眉を開く思いだったのでしょうか。家持の七夕歌にも、そうした雰囲気が漂います。
七夕歌は『万葉集』には130首も詠まれ、その中、巻10には98首も収録されます。日本では男性が妻問いするのが習慣の時代ですから、彦星(男性)が舟を漕ぎ、女性を訪問しますが、この歌は中国伝説に従って、女性がお嫁入りするように、詠われていますね。
諸兄は皇族ですが、橘姓をもらって,臣籍に降りた方です。

(139’) わが蒔ける 早稲田の穂立ち 作りたる
        かづらぞ見つつ 偲はせ我が背
    巻八・1624 坂上大嬢(さかのうえのおほおとめ)
大意・ 私が蒔いた早稲田の稲穂で作った蘰ですよ。ご覧になって私を思いだしてくださいませ。

解説・ 庶民は粟を食べる時代ですが、流石に大伴家、稲田を大きく管理していました。家持には亡妾の歌や、笠女郎、平群女郎、紀女郎等他多くの女性との交流の恋歌があり、将来妻となったこの坂上大嬢とは、それまで交際を断絶していましたが、どうやらこの年に復縁したようです。

740年(天平12)、遣唐使帰りの僧玄ぼう、吉備真備の政権での重用排除を求め、藤原広嗣が九州で反乱を起こしました。
そして、聖武天皇の長い行幸が続き、恭仁宮遷都が決まります。 

(139’’) 河口の 野辺に廬(いほ)りて 夜の経(ふ)れば
        妹が手本(たもと)し 思ほゆるかも
          巻六・1029 大伴家持
大意・ 河口の野辺に仮のやどりをとる夜が長く続くと、妻の手枕が恋しく思えることです。

解説・ 河口は三重県白山町川口とされ、当時内舎人(うねどり・帯刀できる舎人の最高位で幹部候補生)だった家持は、聖武天皇の転々とした長い行幸のお供していて、その折の歌です。

カテゴリ:ニュース・その他

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