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よくあるご質問

饗庭孝男著『知の歴史学』

1995年5月から2年間に亘って、『新潮』に隔月で連載された長編評論集。
 《眼に見える「歴史」とは何だろう。こう考えると私はよく歩いたヨーロッパの辺境の修道院や教会の建物を思い出す。たとえばカタルー二アの奥、リョブレガト河のほとりにひっそりと建っているサン・ベネット・デ・パーへス修道院の壁面をさわっていた時のことだ。(略)
 私は夏草がおい茂り、光がその影を回廊の柱に与える人気のないこの中庭を歩き、東の回廊の前に足をとどめた。
 文献によれば、これは十世紀のものである。他の西、南、北の回廊に較べると、どっしりとして二百年先立った時代の素朴な味わいを与えるものがある。しかし注意深く眺めないと、苔や繁茂する蔓草のためにその違いはわからない。
 私は二百年の隔たりを手で確かめるように石組を長い間さわっていた。夏の光を受けた部分のぬくもりと、冷たい影の部分の差があるものの、私には「歴史」にふれている実感があった。「歴史」のこの可視的な部分、そのつみ重なりの石組が私を感動させた。》
 全12章からなり、歴史の全体史的展望、「文化」の原型、歴史の切断と非連続、大地母神と穀霊信仰、「聖母マリア」の宗教的・制度的規範、共同体的心性のヨーロッパの都市と堺の挫折、言語の直接的明証性と「宗教改革」の狂気、フランス大革命の暗部とイデオロギーの絶対性、狂気と理性のドラマ−サド侯爵の意味、秩序と愛−その時間的変容、身体による認識と宇宙との一体感、教会から墓地−共同体から「個」の死へ、などここでは勝手に解りやすく主題と副題をごっちゃに掲げているが、それにしても私には難しかった。
 《歴史は政治も含めて文化の構造の時間的変容を形づくるもの、文明はそれが生み出す技術に過ぎない。歴史の構造というからには時間的変容を蒙るとしても常に空間がある。その空間とは底辺において共同主観性をもつ「集合的心性」があり、思考の総体として宗教と民俗に深く結びついている。これらは常に動的なエネルギーをもち、しばしば「出来事」という形で象徴的に出現する。》
 これは「あとがき」にある文であるが、よく読めばそれなりに理解できるところだ。しかし、解らずに読み飛ばしてしまった部分も多かった。
 《ルソーは18世紀においてサドがのべた「自然」の弱肉強食の危険な思考とは異なり、「憐れみ」を社会協同の基礎におくとともに、共同体の運営においては個々の人間が、その自由の一部を差し出し、その代わりに自らの保護を共同体から求めるという「契約」の概念を示したのである。》『社会契約論』
 《中世の都市は商人の作品である。それ以前の、「祈る人」「戦う人」「働く人」の三身分の従属的構造の中にもうひとつの身分、すなわち「儲ける人」を入れ、「戦う人」とやがてむすびつき、上昇して都市貴族的な身分をつくりつつ、縦の関係を横の関係に置き換えて行った人々である。(略)商人が都市に定住し、上下の従属でなく、「誓約」あるいは「契約」という概念により人間関係を横に開くことで従来の身分の構造を変えて行った。》
 昨年のベネルクス三国の旅で訪れたブルージュ・アントワープ・ブリュッセルなどの商業都市を思い浮かべると、これなどはとても明快に理解できる。
 今日、お気に入りの方のドイツの旅日記のアルバムに、16世紀の市庁舎の建物とその絵、1160年に建てられたプファルツ最古の修道院の宿泊施設が現在も機能している写真を見せていただいたが、上記の饗庭先生が柱や壁を手で触って「歴史」を実感する感覚がよく解るような気がする。ヨーロッパの石の文化と日本の木の文化との差異があろうとも。
 「旅」とは、その歴史的な空間に身を置いて時間的変容を実感することなのだろう。

 土曜日はいつものように孫家族が来て食事をして、今帰ったところ。先日孫は「大きな栗の木の下で」も歌ってくれた。
 『Under the spreading chestnut tree』というイギリス民謡で、戦後GHQによって齎されたという。前記の口直しに。

 大きな栗の木の下で
 あなたとわたし
 なかよく遊びましょう
 大きな栗の木の下で

コメント

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