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よくあるご質問

孫はこの本を読んでくれるだろうか

饗庭孝男著『ギリシアの秋』小沢書店、を読了。芸術随想と銘打たれたエッセイ集。
 《北の町、パリは、四月も、時に灰色に曇ることがある。晴れた日も、うす青い空に向かう萌え立ちはじめたマロニエの緑は、光をもとめて叫んでいるように思われる。それを見たとき、私はイタリアへの旅を思い、まずナポリへと赴いた。私は港に近い、ホテルに宿を取ってから、夕燃えに映える海の風景を見ようと外へ出た。》「古代の〈光〉を求めて」

 《フランスの自然は概して穏やかである。一歩、パリを離れると、ゆるやかな丘、平地につづく森、どちらをむいて流れているかわからないほどの静かな、ゆったりとした河の流れ。果てしなく白楊樹の並木がつづく道。村と村との間隔が長く、自動車で走っても小一時間、人影も家も見ないことが多い。思いがけない林の奥に、古い蔓のからみついた城館が見え、昔の貴族の生活を想像させてくれる。》「雅やかな宴−ワットー」

 《澄んだ初秋の青い空がひろがり、光が溢れている。夏ほどの熱気で風景がゆれ動くこともなく、どこまでも見とおすことの出来る地平が私の前にある。どんなかすかな音を立てても、いつまでもそれが中空にひびいているような世界であり、人影もなく、自分の心と対面していながら、心まですきとおり、風がとおっていくような感覚を覚える時。死後の世界まで見通すことが出来るような印象を与える日の、はるかな思いというものが私をとらえること。モーツァルトを聴くたびに私が心にいだく風景や感覚とは、たとえてみれば右に書いたようなものである。》「〈時間〉の外に−モーツァルト」

 《フランスの春はある日、急にやってくる。復活祭までは緑も少ないのに、それをすぎるとにわかに新芽がふき出し、花が野にいっせいに咲き出す。空は長い冬の間凍ったような灰色の空だったのが、いつのまにかうっすらと青みがさし、雲がながれ出し、気がついてみると、あのアンリ・ルソーの絵にうかぶ白い雲が、パリの屋根の上や郊外の丘をゆっくりと漂ってゆくのが見えるのである。》「中世の春−ロマネスクの教会」

 上記は、17編あるエッセイの書き出しの部分であるが、専門である文学以外の芸術のジャンルの中で、著者が心惹かれる対象に触れた時、感性の促しに従って書き留めたもの、と「あとがき」にある。
 私の読書日記は、単に本の部分を書き写しているに過ぎないもので、とても日記とはいえないだろう。
 ちょっと濃い目のコーヒーを飲みながら、できればさやさやと風が通り抜ける木陰で、こうした本を開いていたいと思うのだ。流石に今の時期は暖かい部屋で、オンザロックと暖炉があればシチュエーションとしては最高だが。
 もう一冊読んだ。
 樺山紘一著『歴史のトポロジー』青玄社。
 「これまでの歴史学、もしくは歴史叙述が、人間の営みを詳細にえがいていて、なお空漠さを禁じえないのは、それが展開される「場」に関する配慮を省略しているからではあるまいか。(略)空間、場所、土地、それらの規定のもとにある人間行動を、時間の相のものとでとらえること、歴史のトポロジー(位相学)の標的はそこにすえられる」とある。
 前回の日記で、「祈る人」「戦う人」「働く人」に「儲ける人」が位置を占めて中世都市が出現したことを饗庭先生の本で写したが、樺山先生の本ではこう書かれている。
 《祈る人、戦う人、耕す人はそれぞれに社会の一画を占めた。だがそのころ、第四の身分がじわりじわりと力をつけてきた。商う人あるいは作る人である。先行の三身分から巧みにお裾分けを受けながら、彼らは都市という施設を構えた。かつて都市とは、城砦によって囲まれた軍事施設でもあった。城砦は戦う人の住まいであった。しかし、その城砦には、商う人と作る人が大挙して押しかけ、城(ブルク)は町(ブール)になった。ブールの住人はやがて町人(ブルジョア)と呼ばれることになる。》
 実にやさしい語り口で、景観に視る歴史の異貌を映し出している。孫が中学生になったら、私の書棚からこの本を手に取ってくれるだろうか。私はもういないかもしれないが。

カテゴリ:ニュース・その他

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